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中国高校生だより

【第15期帰国作文】「人間ノ歳月ハ何ゾ匆々タルヤ」孫 瀾歌(北海道)

日付:2024.09.16

第15期生   孫 瀾歌

立命館慶祥高等学校(北海道)/東北育才外国語学校(遼寧省)

日本に来た後、中国で長い間勉強していなかった文言文(日本語では漢文)を久しぶりに勉強した。それをきっかけに、古典への興味がだんだん出てきて、私もそれを使って日本人のクラスメートと話し始めた。

この帰国前作文を作成している時は真夜中で、明日の古文のテストのために復習した後、パソコンを開いて、文字を一つずつタイピングしている。書いていると日本へ来たばかりの時、初めての古典の授業で『鴻門の宴』という文章を読んだ時の驚きが頭に浮かんだ。中国で好きではない古代の文章は日本でも授業の一環として日本人の学生も勉強している。そのことは、赤に染められた楓と一緒に私を驚かせた。

 10か月を経て、今は『去来抄』を勉強している。授業の前にみんなと一緒に芭蕉について討議し、外をちらっと見ると、もう緑の世界となっていた。

 秋、冬、春、それに他の地域より遅い北海道の夏も間も無く来る。季節の流れと一緒に、私の日本での高校生活も間も無く終わる。来たばかりの嬉しさ、来日1ヶ月後の気持ちの落ち込み、JLPTの勉強、白石寮でのみんなとの生活、私にとって極めて困難な体育、それに冬の雪とスキー、春の桜と鳥、夏の暑さと雨からなる私の留学の世界も、しばしの終点に歩き着いた。初めの頃、私は「これからどのぐらい時間をかけたら帰れるか」と毎日チェックして、「時間が早く過ぎるように」と願った。中国農暦の新年の時も両親とのビデオ通話が終わった後、涙が気づかないうちに目から流れた。その時も、毎日勉強して、他のものも無視して、そうしたら早く帰れるだろうと幻想した。

 しかし、ある日Youtubeで古典を勉強していた時「人間歳月何匆匆」という漢詩が目の前に出てきた。それは、「生きている時そんなに忙しく生活する必要はない」という大意である。確かに、私が中国で高校に通っていた時、毎日厳しいスケジュールがあって、自分にとっての思考の時間もなく、「もし暇な時間があれば何をしようか」とよく考えていた。しかし、日本に来た後、フリータイムがたくさんあって、部活、勉強、好きであれば恋愛さえもできると発見した。本当のことを言うと、この違いを必ずしも嫉まないとは言えないだろう。

そうだね。そんなに忙しくする必要はないね。もし時間が戻せるなら、冬休みにホストファミリーともっと話せばいいね、退職した政経の先生ともっと話したらいいね、友達と一緒に遊びに行ったらいいね。しかし、その時の私は「明日テストがあるから出かけないほうがいい」「恥ずかしいから話さないほうがいい」と思っていたが、今からすると、自分に「後悔の薬がない」としか言えなくなった。

 今の私も16日のテストに向けて勉強をしている。オンラインの塾もあって、日曜日でもあまり出かけられなくなった。しかし、今の私にとっては、後悔という気持ちは何もない。それはテストの勉強でも、現在の私にとっては「匆々」ではないと思うからだ。

 初めの楓、楓に覆われた豪雪、豪雪のように落ちた桜、桜にともなって生まれた緑葉、それは必ず私の「人間歳月」である。しかし、友達との時間と、勉強にかかった精力も、私の「人間歳月」ではないか? それなら、日本での毎分、毎秒は全て私の「歳月」だと思う。

 日本から間も無く離れる今、私は意外に気持ちが穏やかである。寂しさもあるが、そこでの記憶はもう私の一部となっている。自然、友達、先生及び学校も、私の頭に鮮明な痕跡を刻んだ。これからの生活は、どんな困難にあっても、「何も知らずに日本人の高校生と一緒に勉強する」ということより難しい状況もないだろう。だから、そんなに忙しくせずに、これからの「人間歳月」を、「匆々」無しに、愛を込めて周りを気にかけながら未来へ歩こう!

中国高校生だより」では、「心連心:中国高校生長期招へい事業」で招へい中の15期生によるエッセイなどを掲載しています。

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