- 心連心トップページ
- 高校生交流事業
- 留学ドキュメンタリー
- 第32話 =九期生、それぞれの想いを胸に帰国=
留学ドキュメンタリー
今年もまた「別れ」の季節がやってきた。約一年間、日本で学んだ九期生たちの帰国前夜、帰国前報告会及び歓送会が国際交流基金で開催された。日中交流センターの職員、ホストファミリー、受け入れ先高校の先生や同級生たちが見守る中、31名の留学生たちが巣立ってゆく。
それぞれの「成長したこと」
国際交流基金のレセプション会場に、大きな笑い声が響き渡る。直前の報告会では、緊張した面持ちで、修了証書を受け取っていた九期生たちが、立食パーティでははじけたように笑い、おしゃべりに花を咲かせた。1年前、ぎこちない日本語ではしゃいでいた彼らは今、流暢な日本語で冗談を言い合っている。
――この一年で一番成長したと感じることは?
そんな質問を生徒たちに聞いた。
「苦手なことからも逃げ出さないようにした」
そう話すのは留学生ドキュメンタリー第5話に登場した趙婉言さんだ。留学先で仲良くなった同級生3人もレセプションに駆けつけた。友達に囲まれ、楽しそうな趙さんだが、最初はなかなかなじめなかったという。 「でもみんなに親切にしてもらって、自分から交流するようになり、明るく過ごせました」
「東京大学に進学したい」という趙さんに、同級生たちは「日本で待ってるよ!」「その前にみんなで中国にも行きたい!」と声をかける。
「筋肉がついた!」と話す女子生徒もいた。
第4話に登場した李彩維さんだ。留学先ではチアリーディング部で青春を満喫した。小柄で愛らしい感じの李さんが、「大会で、上の人を全部上げる『全上げ』をして、すごくうれしかった!」と、ガッツポーズをとると、隣で、周寅培さんが「私は女子力が上がった!」と、言葉を挟む。
「日本の女子高生は女子力が違う。私もヘアアイロンを2本買いました」と、周さん。そこへ、今度は陳思宇君が乱入。周さんを指さし「こいつIQが足りないで、迷惑かけてすみません」とからかう様子は、まるで日本のやんちゃな男子高校生を見ているようだ。
日本の「母ちゃん」に支えられた一年間
一方、和歌山県でホームステイをしていた高雪梅さんは、「最後の最後まで、ホストファミリーに迷惑をかけてしまった」 と、涙を見せた。東京まで見送りに来た「母ちゃん」こと坂美希さんは、「彼女は叱られると深く反省するんですが、すぐにまた同じことをする」と、手厳しい。
帰国直前、高さんは使っていた学生鞄とスニーカーを、缶ビンの回収日にゴミとして出し、近所の人に戻されるということがあった。本人は「できるところを見せたかった」そうだが、逆効果となってしまった。
口では謝りながら改善できない高さんに、坂さんは「それでは信頼関係がなくなる」と、きつく言ったこともあるそうだ。しかし厳しいばかりではない。取材中、こんなことがあった。
坂さんが「そういや、忘れ物……」と、おもむろに下着を鞄から取り出した。高さんが悲鳴をあげ、二人の間で「掛け合い漫才」が始まる。関西弁で言い合うその姿は、仲のよい母子のようだった。
実は、高さんは父子家庭に育った。中国の学校では寮暮らしで、夕飯は毎日、即席麺だったという。高さんに一番の思い出を聞くと、「母ちゃんが『この家に入ったときから、お前は私の子だよ』と言ってくれて、めっちゃ幸せでした」 と返ってきた。日本でできた母子の絆の中、高さんも少し大人になった。
九期生からの「サプライズプレゼント」
こうして31名の生徒が無事、修了できた背景には、日中交流センターの担当者の苦労もある。ホストファミリーとの連絡役を担当した齋木香澄さんは、「生徒たちは思春期に入り、反抗心を持ちながらも、怒られるとおびえてしまうなど、心の扱いが難しかった」 と話す。
中国の一人っ子家庭では、親から叱られたことのない子供や、勉強第一で育てられ、損得勘定で動く子供も少なくない。問題が起きる生徒は一部だが、ホストファミリーと衝突したり、学校で放課後の掃除をやろうとしない生徒もいたそうだ。ただ彼らも、わかっていないわけではない。 「注意されたことが身につかない自分にイライラもしますし、最悪の場合、ホームステイ先を出て行くことになると言われれば、心細い思いもします」と齋木さん。
そうした生徒たちの心のケアをしながら、中国の両親とホストファミリーの間に立ち、話を聞き、理解を促し、調整をしてゆくことも、齋木さんたちの仕事だ。簡単なことではないが、その分、やりがいも大きい。
「外交官になって日中の架け橋になりたいと語ってくれた生徒や、楽しいことばかりが自分を成長させてくれるものではないと言う生徒も出てきて、涙が出ました」と齋木さんは語る。
レセプション終了間際、九期生全員が列をつくり、「サプライズプレゼントです!」と、ZONEの「シークレットベース」を歌い始めた。出会いと別れ、感謝と再会への期待を切なく明るく歌うこの歌は、まさに彼らの気持ちそのものだっただろう。
翌日、中国へと旅立っていった生徒たちは、近い将来、日本に戻り、いつか二つの国で、未来をつむいでゆくに違いない。
 (取材・文 田中奈美 取材日2015年7月17日)