中国高校生だより
【中国高校生エッセイ】私の好きな日本語「何必日利」
日付:2024.04.15
【15期生エッセイ Vol.14】
第15期生 Sさん
(北海道留学中)
私の好きな日本語
好きな外国語のフレーズを話題にする時、最もその言語らしい表現を思い浮かべることは誰にでもよくあります。
たとえば、美しいフランス語であれば“J’aime”で、「愛している」という意味です。
また、中国全土で流行した韓国ドラマでは、多くの女性主役が口にする「오빠」(お兄さん)に思い至るかもしれません。
日本語であれば、「かわいい」や「大好き」のような、有名アニメ作品で頻繁に登場する言葉や、「国士無双」や「井戸端会議」といった日常生活で使われる表現を選ぶ人もいるでしょう。
しかし、私のように独自の道を選ぶタイプの人は、一般的とは言えず、現代の多くの日本人にとっても見慣れない次のような漢文の一節を選ぶのです。
「王、何必曰利、亦有仁義而矣。」
この文は「王、何ぞ必ずしも利と曰はん。亦た仁義有るのみ。」と読みます。
中国人が日本で、日本語の古文を用いて古代中国語を語る。
一見しただけで人の心をざわつかせるような言葉は、私の現状を如実に反映しています。
このようにして、私は伝統文化への情熱と文化間の交流を再発見しました。
中国での学校生活の中でも特に好きだった国語の授業で、私が最も苦手だったのは文語文(古代中国語)でした。
当時の私にとって、この簡潔だが難解な言語をなぜ学ばなければならないのか、試験に出してまでこのような文章を中心に深堀りしていく理由がわかりませんでした。
天邪鬼な性格の私はそんなことを気にせず、現代小説や小論文で高い点数を取っていたのとは対照的に、文語文の成績はそれほど良くありませんでした。
日本に来る一か月前には、Bilibili動画で日本語の古文を少し勉強し、日本でスムーズに授業を進めることができるようにしようとしました。
しかし予想外だったのは、最初の古文の授業で困惑したのは「源氏物語」や「万葉集」といった日本語の古典ではなく、中国の教科書で学んだばかりの「鴻門の会」だったということです。
訓点、書き下ろし文、異なる語順、見慣れているが、異質の漢字。
探求を続ける中で、新しい言語で母国語を学ぶおもしろさに徐々に目覚めていきました。異なる発音、異なる記憶方法、そして異なる文化背景から生まれる異なる理解方法。
たとえば、漢文の翻訳では、臣下は君主に対して敬語を使わなければなりません。
「糟糠之妻」で、光武帝が宋公に言った‘谚言,“贵易交,富易妻。”人情乎。’
という言葉は、現代日本語では「諺の中には、『高い身分になったら交友関係を変え、富を得たら妻を変える』というものがある。(これは)人として当然の考えではないか。」と訳されます。
すぐにわかることは、光武帝は敬体ではなく常体で終始話しているということです。
それに対し、宋公は‘臣闻,“贫家之交不可忘,糟糠之妻不下堂。”’と答えています。現代日本語では「私は『貧しく身分が低かったときの交友関係は忘れてはならない。貧しい生活を共にしてきた妻を家から追い出してはならない。』と聞いています」と訳されます。臣下の回答は敬体を用いています。
この点は、中国の学生にとってはしばしば見過ごされがちです。
無数の細かい違いの中で、日中両国の似て非なる文化が私に新たな視点をもたらしました。
何千年もの影響と衝突の結果が私の目の前で徐々に展開されていくことに魅了されました。文化間交流の中で、私は小さな存在とはいえ、体験者の一人として存在しています。
そのため、少々大げさかもしれませんが、日中文化交流に自分なりの貢献をしたと言えるのかもしれません。
「中国高校生だより」では、「心連心:中国高校生長期招へい事業」で招へい中の15期生によるエッセイなどを掲載しています。