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- 第29話 =剣道を始めて半年で、初段取得=
留学ドキュメンタリー
「留学ドキュメンタリー」第9期生第3話に登場した王志涵君は今、岩手県の盛岡中央高等学校剣道部に所属し、メキメキと腕をあげている。留学当初クラスにもあっという間になじみ、成績優秀で、担任教師から「本当に良い子」とお墨付きをもらった王君だったが、半年が過ぎた今、実は悩みも少々抱えていた。
剣道を始めて半年で、初段取得
「メーン、メーン、メーン」
体育館に竹刀を振り下ろす音と生徒たちの気合いのこもった掛け声が響き渡る。盛岡中央高等学校剣道部の放課後の練習風景だ。その中にやや小柄な青年がいる。防具のたれに「王」と名前が刺繍されている。天津からの留学生、王志涵君だ。
王君が剣道部に入部して半年ほどが過ぎた。それまで剣道は、映像で見たことはあってもやったことはなかったという。格好良さに魅了され、入部を決めたものの、「最初の1カ月は本当に何もできなかった」と、王君は当時を振り返る。
しかも、他の部員は中学生の頃から剣道をやっている経験者ばかりだ。「みんなが格好良くやっているのに自分だけできない」ことに落ち込んだ。それでもすでに入部6ヶ月半で剣道初段を取得したという熱心さだ。
指導員の畠山慎太郎先生は「半年でここまで上達する人はなかなかいません。他の生徒たちにもよい刺激になっています」と評価する。
以前にも剣道部に入部した留学生はいたが、これほどやりこんでいるのは王君が初めてだそうだ。「こんなに頑張ってくれてうれしいです」と畠山先生は笑顔で語る。
中国ではしゃべりすぎ、日本では考えすぎ
一方、王君はどう思っているか。部活後、下宿先で話をうかがうと「みんなに迷惑ばかりかけてしまって……」と、彼は背中を丸めた。他校との練習試合で、なかなか勝てないのだそうだ。始めて半年では仕方のないことだが、「一人が勝てないとみなの足をひっぱる」と、周りを気にする。
先生が褒めていたことを伝えると「僕は真面目なふりをしているだけです」と王君。
いまひとつ、本当の自分を出せないでいるのだという。もちろん、仲のいい友達もでき、楽しく遊びに行ったりもしているのだが、学校では「真面目というイメージが崩れるのがちょっと恥ずかしい」と、あまり話せないでいるそうだ。
そんな王君は、天津の高校では漫才部に所属し「しゃべりすぎ」の毎日だった。竹板を打ちながら小噺を謡って語る「快板」は、小学生の頃から聞き始め、中学の時に自分でもやるようになった。「相声」という中国式の漫才もお手の物だ。
ビデオ編集も趣味の一つで、部活の仲間たちと制作した漫才部の紹介ビデオは、全国のビデオコンクールで優勝したこともあるという。
「日本では考えすぎてしまう」というのは、生活環境の違いもあるようだ。今は下宿に戻れば一人の時間となるが、中国では相部屋の寮生活だった。週末、天津南部の実家のアパートに帰っても、個室はなく、夜は両親と一緒に好きなところで寝るという中国版「昭和」な暮らしぶりである。
実家は地元で小さな床屋を営み、近所には親戚一同も住んでいる。店は祖父母も手伝う家族経営で、カットは10元(1元=約20円)。破格の庶民プライスだ。
留学前、家には車がなく、市内に用事があるときは、往復70キロの道のりを一家そろって自転車をこいでいった。外国どころか、天津を出たことも数えるほどだった。
そんな王君は、一族の中で最初の留学生だという。中国奥地の農村では、村で初めての大学生が出ると大ニュースになるが、まさにそんな感じだったと、王君は話す。
留学前、「日本人はマナーに厳しい」と周囲から言われたことも、学校で話をするのをためらう要因の一つとなっているようだ。ルールから外れたことをしているのではないかと気になって、自分を押さえてしまう。
剣道の練習はゲームのボスキャラを倒すよう
それでも「一人暮らし」を楽しんでいないわけではない。下宿ではオンラインゲームをしたり映像編集をしたりして夜を過ごす。クラスメートと焼き肉やカラオケに行ったり、友人宅にホームステイしたこともある。
実家では親が何でもやってくれたが、ここでは全て自分でやらなければならない。母親任せだった洗濯も自分でやるようになった。関西で行われた第九期生の中間研修には、一人でバスと飛行機を乗り継いで行った。これも人生初の経験だった。
疲れると、たまに剣道部をさぼってしまうこともある。それでも平日は夜7時頃まで、土曜日も朝から昼まで練習に通う。打ち込みと切り返しを何十本もやったあと素振り100本というハードな内容だ。
どうしてそこまで頑張れるのか――。そうたずねると、「ゲームのボスキャラを倒すみたいだから」と、意外な答えが返ってきた。つまり、達成感があって爽快なのだそうだ。「帰国後も剣道は続けたい」と王君は言う。
こうして話を聞いていると、王君は来日から半年以上たち、海外生活の「壁」の前で、少々考えあぐねているようだ。だがいつかその壁を乗り越える時がくるだろう。その時彼は、独特の感性と豊かな才能で、新たなステージへの一歩を踏み出すに違いない。
取材/文:田中 奈美 取材日:2015年5月29日