心連心ウェブサイトは日本と中国の若者が
未来を共に創る架け橋となります。

JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

留学ドキュメンタリー

留学ドキュメンタリー 第8話 =甲子園・京都・沖縄 思い出を胸にいま巣立つ=

  昨年10月、部活に勉強にと活発に打ち込む姿を見せてくれていた、福井の私立敦賀気比高校に留学中の陳林嶠君。留学生活も終わりに近づいた彼は、この半年のうちに何を経験したのだろうか。

声を限りに応援したセンバツ甲子園



写真を拡大
慣れ親しんだ校内で。甲子園の思い出を語る陳君。

  2015年の春の選抜高等学校野球大会。甲子園を沸かせた北陸の古豪――それが敦賀気比高校だ。準々決勝でサヨナラ勝ち、準決勝では相手チームを大差で下し、勢いを駆って決勝でも東海大四高に勝利。北陸に史上初の優勝旗をもたらした。アルプススタンドでは学生たちが声を張り上げ、母校の活躍に声援を送る。この春、その熱狂のなかに、陳君は身を置いた。

  「甲子園では、気比高校の全試合を応援しました。野球のルールにはわからないものもあるけれど、隣の人に聞きながら覚えて。ファースト、セカンド、サード。ストライク、ボール……。今はだいたい理解できますよ。え、『セカンドゴロでゲッツー』ですか? うーん、そこまで専門用語だと、ちょっと難しいかも(笑)」

  それだけ知っているのでも充分だろう。彼はもともと、来日時までは野球のルールなんてまったく知らなかったのだ。


写真を拡大
苦労して訪れた金閣寺。時間に追われ、みんなで集合写真を撮るのを失念!(陳君撮影)

  「アルプススタンドがいちばん盛り上がった応援歌は『学園天国』でした。僕は歌詞を知らないんですが、野球部の人たちは歌っていました。観戦中にいちばん興奮したのは、準決勝の大阪桐蔭戦で2本連続満塁ホームランが飛び出したとき。11対0で勝ったんですよ」

  センバツの気比高スタメン戦士たち9人のうち、なんと6人が陳君と同じクラス。前回の11月の取材で登場した友人の上田君はレフトだ。「彼、すごく上手なんですよ」と陳君は声を弾ませた。

  「テレビで野球中継を放送していると、なんとなく見ちゃいますね。もちろん、独特の口調の『実況』は、専門用語も多いからなかなか聞き取るのが大変なんですが」

  日本で、新たな趣味も見つかった。

友達とめぐった京都、そして沖縄



写真を拡大
遠足は清水寺までが集団行動、その後は自由行動だった。陳君にとって2回目の京都だ。

  「2年生の秋の遠足の行き先は京都。自由行動の際は、できるだけ陳君が見たい場所に行こうと予定を組んだんだけど、京都の街は思いのほか大きくて。大慌ての旅でした(笑)」

  そう話すのは、同じクラスの安川君だ。空手部に所属する安川君は当時、京都遠足の班リーダー。ちょっとシャイな吹奏楽部部員の長谷川君とともに、陳君を連れて京都の街を回った。陳君が話す。

  「あの日、途中から雨が降っちゃったんです。僕たちの班は清水寺から三十三間堂を経て、京都駅の近くで昼食。ごはんを食べながら『あれ? 金閣寺に行くの、間に合わんやろ?』『いや、頑張れば間に合う』とみんなで話し合って……」

  市内の西北部に位置する金閣寺へは、京都駅前からバスに乗る。慣れない街の市バスの時間を読み切れず、いざ金閣寺に着いたときには集合時間ギリギリ。

  「全員、『速攻』で走って回りました。でも、写真はなんとか撮ったかな?」(長谷川君)

  「みんなでバタバタしながら金閣寺の中を走ったのも、すごくいい思い出です」(陳君)

  「でも、結果的にちょっと集合時間に遅刻しちゃったんですよね。でも、陳君に金閣寺を見せてあげることができて、よかった」(安川君)


写真を拡大
沖縄のちゅら海水族館で友達と。いちばん下が陳君。

  口々にそう話す3人は、今年2月の修学旅行でも行動を共にした。行き先は沖縄。雪深い北陸とは異なり、故郷の深圳に近い温暖な気候は陳君にとっても快適だったようだ。旅行3日目は那覇市内での自由行動だった。

  「最初はスキューバダイビング体験の予定だったんですが、雨で中止。かわりに、市内の『アメリカっぽい街』をぶらぶらしました。言葉はみんな日本語だったんですけどね(笑)。その後は……」

  男子高校生のお約束。みんなで那覇のアニメイトに行ったそうである。

  「沖縄デザインのモンハン(モンスターハンターゲームのキャラクター)のキャラが描かれた『ちんすこう』が売っていて、買いました」

陳君の留学が周囲に残したもの



写真を拡大
泳げなかった沖縄の海。友人たちを後ろからパチリ。(陳君撮影)

  「もともと、ニュースの影響なんかもあって中国についてはよくないイメージもあったんです。でも、陳君と会ってから印象が変わりました。『そういうニュースで報道されているような部分もあるけれど、中国人みんながそういうわけじゃないし』と聞いて、すごく腑に落ちたんですよ」(長谷川君)

  「陳君に会ってから、他の国の言葉がわかる、コミュニケーションができるって、こんなに凄いことなんだなあと実感しました。大学に進学したら、僕も第2外国語で中国語を勉強しようかなあ」(安川君)


写真を拡大
友達みんなで記念撮影。左から部活の友人・内山君、陳君本人、長谷川君、安川君だ。

  友人たちは口々にそう語る。陳君との1年足らずのスクールライフは、それぞれの心にたくさんの思い出を残した。いっぽう、陳君自身は「この1年間をどう振り返るかは、まだ終わっていないからわからないです」と、やや戸惑いも見せる。だが、友人たちとの出会いや、彼らと学んだ日々が大きな成長の糧となったことは間違いなさそうだ。

  「帰国前にみんなのアドレスを聞いて、帰国後はメールで連絡かな。ちょっと寂しいですが……」(陳君)

  中国への帰国予定は7月18日。夏の甲子園の戦況を気にしつつ、陳君は敦賀を去る。

  取材/文:増田 聡太郎 取材日:2015年5月19日

ページTOPへ

  • 国際交流基金 JAPAN FOUNDATION
  • アニメ・マンガの日本語
  • 日本国际交流基金会|北京日本文化センター
  • 日本国际交流基金会|北京日本文化センター[微博]Weibo