参加者インタビュー
名前
王 百慧(おう ももえ) さん
プロフィール
1990年、吉林省長春市生まれ。長春第一外国語中学校を卒業後、宮崎に本部を置く日章学園の長春高校に進学。2年生のとき、心連心プログラムの第二期生(2007年9月~2008年7月)として鹿児島の神村学園高等部に留学した。その後、九州大学教育学部に進み、現在は同大学の大学院で臨床心理学を研究している。
おおらかさと繊細さと
とっつきにくい堅物の女性だろうな――事前に取材対象のプロフィールを聞いていたので、そんなイメージを抱いていた。ところが実際に会ってみると、丸顔にほほ笑みを絶やさず、大陸人特有のおおらかさと、感受性が人一倍強そうな繊細さを合わせ持つ人だった。
心連心プログラムの第二期生として、長春から鹿児島の高校に留学した約1年間。取材日前夜は7年前のことを思い返すため、久しぶりに神村学園のサイトを見た。校庭の風景写真はどれもこれも懐かしい。校門を入るとゆるいスロープがあり、すぐ近くの売店には昼休みになると、パンや揚げポテトなどを買いに走ったものだ。いまでは遠い過去となったが、写真に見入っていると、まるできのうのような感じもする。「17歳の自分は確かに、この風景の中にいたんだ」と思わないではいられなかった。
おおらかさと大ざっぱは紙一重だが、感受性の強さはこの人ならではだろう。ささいなことにもこだわり、これとあれはどうつながって、この先、どう発展するのだろう。そのように考えるのが習性になった。過去は過去としてかたづけず、過去には自分の原点があり、いまの自分はそこからスタートしていると思うようになった。そんな王百慧さんにとって、大学で心理学を専攻するようになったのも、自然な成り行きだったにちがいない。
「日本に行きたい!」
日本語との出会いは長春第一外国語中学校に入ってから。学校の行事で2週間ほど京都や奈良などを訪ねた。長春日章学園高校に進むと、先輩が心連心プログラムの第一期生として日本に留学する。王さんは「わたしもこのプログラムで日本に行きたい!」と切望。2年生のとき第二期生に合格し、2007年の夏、長春から北京と東京を経由して鹿児島空港に降り立った。
薩摩半島北西岸のいちき串木野市にある神村学園の高等部。王さんはここの普通科英語コースの2年生に編入学した。
初日からももちゃんに
当時、王さんの日本語はまだ初級レベル。登校初日は「むっちゃ、緊張しました」。休み時間になると、みんなから質問攻めにあった。名前なんて言うの、この漢字どう読むの、わたしの名前は中国語でどう発音するの――。情景はいまも色あせない。教室で誰がどこにいてどんな話をしたのかも、すべて鮮明に覚えている。
王さんの名前については、長春の母校の日本人校長から「百慧は日本語なら百恵だな。名前を聞かれたら、『ももえ』って言いなさい」とアドバイスされていた。王さんは初日から「ももちゃん」と呼ばれた。
クラスのみんなは地元の出身で、鹿児島弁を話す。王さんがこれまで習った日本語とは言い回しやイントネーションなどで違っていたが、習うより慣れろ。友だちに合わせていると、自然に鹿児島弁が身についた。だから鹿児島は「かごしま」ではなく、「かごんま」と言う。
送別会で泣く
神村学園は南九州を代表するサッカーや野球の強豪校だ。真っ黒に日焼けした体育会系の男子生徒と廊下などですれちがうとき、「こんにちは」とあいさつすると、「ちわっ!」と返された。それが新鮮でおもしろかった。
サークルは着物の着付けを選び、毎金曜日の午後、その時間が来るのが楽しみだった。先生から帯の結び方などを習い、様々なイベントに着物姿で参加した。教室やサークルでのこうした交友を通して、最初のころは深刻だったホームシックも次第に解消していった。
季節はまたたく間に移り変わり、やがて別れの日がやってくる。王さんは英語コースの3年生になっていたが、ある日、教室からみんながいなくなり、一人取り残された。しばらくして2年生の教室に呼ばれると、同じコースの1~3年生全員が顔をそろえて、輪になっている。黒板にはハートマーク付きで「ももちゃん、ありがとう!」と大書きされている。感激して、目から熱いものがこぼれ落ちた。
九大で心理学専攻
2008年夏の北京オリンピックの最中に帰国した。復学した長春日章学園長春高校で、王さんは鹿児島での経験を生かそうと、「進学先は日本の大学」と決める。その当時、教育心理学の本を読み、幼児期からの知能や精神形成と教育の関係に興味を持った。そこで九州大学の教育学部を留学生枠で受験して合格。心理学を専攻した。
福岡での生活にも慣れてきた3年生の後期になって、次のステップを決めなければならなくなった。両親の待つ中国に帰るか、それとも心理学を極めるために大学院に残るか。王さんは後者を選び、猛勉強。難関の一般受験枠で九大大学院人間環境学府に合格した。今年の春から大学院生となり、臨床心理学を研究している。
心の病気に寄り添う
社会心理学よりも臨床を選んだのは、心の病気で苦しむ人々に手をさしのべたかったから。ストレスや心理的葛藤から不登校や引きこもりになる学生が周囲にもいる。「自分は何ができるのだろう」と考えた王さんは、心の病気に科学のメスを入れ、専門的なカウンセリングを通して問題の解決に一役買いたい、その方面で活躍したいと願っている。
では、大学院を卒業すると、どうするか。中国に帰国しても、臨床心理学の分野で活躍できる領域は限られている。かといって、日本で博士号を取るのは容易なことではなく、最低でも3年以上かかる。先のことは未知数の要素も多いが、いまのところ、大学院を修了後は臨床心理士として日本の医療機関に勤めようか、と考えている。博士号に挑戦するのはそのあとからでも遅くはない。将来は中国の大学で教えることもありかなあ、とも思う。
海を見てリフレッシュ
平日は、大学院に身を置いて各種の調査や研究に当たるかたわら、臨床心理センターで外部からの電話による問い合わせを受け、心理的な援助が必要な子供たちを支援するボランティア活動にも取り組んでいる。週末2日は大手家電量販店でバイトする。
1週間休みなくフル回転しているが、金曜日の午後は比較的時間が取れるという。それでクルマで九大の大学院キャンパスに出向き、写真を数点撮ったあと、「どこかで食事しませんか」と誘うと、「いいですねえ」。1時間ほどドライブして志賀島に行き、前方に玄界灘が広がるレストランに到着した。王さんは「わあ、海だあ!」と潮の香りを全身に浴び、それから遅めのランチ。そして話を聞いた。
「鹿児島での1年間は、わたしのなかで、いまもしっかり息づいています」という王さん。鹿児島、長春、そして福岡。おおらかで繊細な24歳の青春は、試行錯誤しながらも着実に前に向かって進んでいる。
【取材を終えて】
王百慧さんと書くと、なんだか堅苦しく、本人が遠ざかってしまう気がする。王さんはやっぱり、「ももちゃん」とつづるほうが自然で落ち着く。そのももちゃんは大学のコンパで「ノンアルコール」と言われたカクテルに口をつけ、おいしさのあまり何杯もおかわり。気分がよくなったところで、「ほんとうはアルコール入り」と告げられた。それからは“飲める人”に変身。「ビールやワイン、大好きです」というももちゃん。いつか時間があれば、イッパイやりましょう。(取材・文:大住昭(NNA)取材日:2014年6月13日)