参加者インタビュー
名前
龔 旭東(きょう きょくとう) さん
プロフィール
1992年1月19日、上海市出身。中学・高校の一貫教育で、第一外国語として日本語を学ぶ。「心連心」プログラムでは、和歌山県立那賀高等学校に留学(2007年9月〜2008年6月)。高校卒業後、早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科に入学。現在大学4年生。
日本でキャリアアップを目指す
「成長できる絶好のチャンス」と直感し、
中学3年生で「心連心」プログラムの面接を受けた龔(キョウ)さん。
卒業後、迷わず早稲田大学へ進学したのも、
自分がキャリアアップする場所は日本だと確信したから。
そんな龔さんは日本でどのような学生生活を過ごし、
今後の将来をどう描いているのだろうか。
日本企業の内定を受け、就職活動がひと段落した6月、
東京都新宿区の早稲田キャンパスで話を伺うことができた。
失敗に学んだ就職活動
――内定を頂いたそうですね。おめでとうございます。
ありがとうございます。
楽天株式会社に、来年4月からの就職がきまりました。
――就職活動はいつ頃から行っていたのですか?
去年10月頃です。
外資系やベンチャー企業は10月から採用活動を始めるので、
3年生の秋には面接を受けていました。
――日本の就職活動は面接の回数が多いですよね。
そうですね、中国より多いと思います。
当初は面接がどういうものかも分からず緊張しっぱなしでした。
グループディスカッションでは、
一言もしゃべれなかったことだってありましたよ。
何度エントリーしても落ちてばかりでしたね。
でも、なぜ失敗したのか、落ちた原因を考え、
次はどうすべきかを自分なりに学習していったんです。
そうしていくうちに、今年3月頃から、
やっといくつか内定がもらえるようになりました。
大学生活を振り返って
――大学ではどんな勉強を?
国際政治経済を専攻しています。
日本と中国に限らず、
世界中の多学的な視点や考え方を学びたくて。
――早稲田大学での学びを振り返ってみていかがですか。
研究意識の高さを感じましたね。
これは日本に限らず、欧米の大学に通う友人たちも
同じようなことを言っていましたが、
レポート提出やプレゼンなど、研究プロセスに携わるのが面白い。
日本の学生と常に一緒の授業では、
たまに孤独を感じることもありましたが、
ここで得たものは大きいと実感しています。
――ずっと一緒に学んできて、
日本の学生にどんな印象を持ったのでしょう。
アルバイトやサークル活動などにも真剣で、
自分で生活費を賄っている人が多く、
自立しているなあと感じていました。
――龔さん自身も、自立できたと感じていますか。
いいえ。
僕は周りと比べたら、まだまだ自立することを
さぼっていたような気がするんです。
それが、日本で就職を決めた理由の一つにもなっていると思います。
――自立するために?
そうです。卒業後、上海に帰って就職したとしても、
親が近くにいれば、絶対に甘えてしまう。
だから日本で就職すれば、自分をちゃんと自立させられる、
という考えがあったんですね。
――なるほど。
内向的な自分を変えた留学
――「心連心」の高校留学でホームステイしたご家族とは
いまも連絡をとりあっているそうですね。
そうなんです。
大学生になってからは和歌山の家族に会いに行きましたし、
夏休みには、ホームステイ先で知り合ったお姉さんたちが
上海に遊びにきてくれたりもしました。
――ホストファミリーではなく、ですか?
ホームステイ先によく遊びに来ていた方たちです。
2カ所目のホームステイ先は、
おじいさんのひとり暮らしの家だったんですが、
英語教師を退職後、外国人の友人や趣味仲間を
自宅に招くのが大好きな方でした。
そこで僕は、学校生活では知り合えない、
たくさんの出会いを経験したんですよ。
特におじいさんの元教え子のお姉さんたちには、
本当にお世話になりました。
行動派な方たちで、僕の話し相手になってくれたり、
いろいろな場所に連れて行ってくれたりしたんです。
内に引きこもりがちだった僕を、
外の世界にひっぱり出してくれたんだと思います。
――以前はあまり外に出るタイプではなかったんですね。
高校に入学した当初は内向的な性格で、
あまり自分から話しかけられませんでした。
今でも反省しているのですが、「心連心」で留学したばかりの頃は、
帰宅後も部屋でパソコンを抱えてゲームばっかりしていましたね。
――そうだったんですか。
留学先の和歌山県立那賀高等学校で
卓球部に入ってからは、生活が変わりました。
はじめは遊びのつもりで入部したんですが、
筋トレや遠征など、何に対してもみんなすごく真面目。
でも、それを楽しめるようになると、
周りが僕にどんどん話しかけてくれるようになりました。
そしたら自然と、自分から話しかけるのも
当たり前になっていました。
――そこにホームステイ先での出会いが重なったんですね。
はい。
いつの間にかコンプレックスは消えていましたね。
1年経って中国に戻ったとき、
クラスメイトに「お前変わったなあ」って言われたんです。
僕から話しかけられたことに、びっくりしたみたい。
高校2年になると、僕はますます積極的になっていった。
そのせいなのか、いま一番の親友と呼べる友達とも、
高校2年生で出会っているんですよね。
――高校留学でコンプレックスを克服したことが
日本に戻りたいという気持ちにつながったのでしょうか。
「心連心」プログラムへの参加は、
僕の人生に大きな影響を与えたことは確かです。
中学生の頃からずっと日本語を勉強し、高校留学も経験した。
その積み重ねを活かすなら、日本以外にないのではないかと。
だから日本の大学で勉強し、キャリアアップを目指すことにしたんです。
日本の良いものを中国で普及させたい
――来年入社後、まずはどんな仕事をする予定ですか。
マーケティングコンサルタントの業務です。
ずっと憧れていた仕事で、会社の内定も総合職ではなく
グローバルマーケティング本部の採用で頂いています。
――具体的にやってみたい事業があるんですね。
入社予定の楽天は、日本の品物を世界中で購入できる
すばらしい仕組みを構築しました。
僕はこのシステムをもとに、中国向けに日本の良いものを紹介し、
普及させていきたいと考えています。
中国人留学生なら誰でも経験していることですが、
帰国の際は必ず誰かから、日本製の商品の購入を頼まれます。
日本製の良さを、みんな分かっていますから。
中国向けの「楽天市場」サイトはすでにありますが、
まだまだ知名度が低く、品数も少ないです。
やりがいはあると思っています。
――いずれは中国に帰国したいですか。
そうですね。
そのためにも、日本の企業で様々な事業を経験し、
どの業界でも通用する人間になりたいです。
まだ具体的な考えはありませんが、起業するのが夢。
まずは就職して、必死に頑張るつもりです。
【取材後記】
取材の最後には、「これは今でも常に心にあることですが」と付け加え、
社会に出て日本人の親友を増やしたいと語ってくれました。
今後は、卒論準備と会社のマーケティング講習会に追われる予定の龔さん。
龔さんの活躍で
メイド・イン・ジャパンの素晴らしさが世界中に伝わり、
いつの日か中国全土に波及することを、期待しています。
《2014年6月11日 取材 一宮千夏》