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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.029 曾 毅春さん

写真を拡大国立市内のファミリーレストランで取材を受ける曾毅春さん

名前
曾 毅春そう  きしゅん さん

プロフィール
  1995年、四川省瀘州市生まれ。小学4年生の時に省都・成都市に移住。中高一貫校の成都外国語学校で「日本語コース」の第1期生として日本語を学ぶ。高校1年の2010年9月から約1年、「心連心・中国高校生長期招へい事業」の第5期生として日本に留学。帰国して高校を卒業したのち2013年9月に再来日し、早稲田大学政治経済学部に入学。その後、再受験して2014年4月、一橋大学商学部に入学。2年生の現在、学業、サークル活動、アルバイトなどと、多忙な日々を過ごしている。

1年生ゼミや「リードアジア」で幅広く学ぶ


  東京都の多摩地域に位置する、緑豊かな学園都市の国立(くにたち)市。

写真を拡大一橋大学のシンボル、創建88年の「兼松講堂」の前で。ロマネスク建築の同講堂は、日本の登録有形文化財でもある

  20歳の曾毅春さんは今年4月、その国立市にある国立(こくりつ)大学、一橋大学商学部の2年生になった。丁寧で、達者な日本語を話す青年だ。「一橋大学は中国ではそれほど有名ではないんです」というが、謙遜も入っているのだろう。明治8年(1875年)、駐米日本代理公使を終えて帰国した森有礼が創設した「商法講習所」を源流とする、日本最古の社会科学系の名門大学である。

  曾さんは、ボーダー柄の上着に紺のマフラーを合わせたスマートないでたち。ひかえめな雰囲気だが、その精悍な顔立ちからは、内に秘めた意志の強さがうかがえる。よく利用するという国立市内のファミリーレストランで会った時の第一印象だ。

  入学時期の関係で2013年9月、早稲田大学の政経学部に入学し、第一志望の一橋大学を目指した。日々の努力の甲斐あって、翌2014年春には一橋大学商学部に見事合格。1年生から参加できるゼミでは、マーケティングと近年注目される経済学の一分野である行動経済学を学んだ。

  とくにマーケティングのゼミでは、授業の一環である“学生からの企業への提言”で代表チームの1つに選ばれ、都内にある日本航空(JAL)の本社で発表するというチャンスを得た。曾さん自身はあいにく期末試験と重なり参加できなかったが、ともに準備をしてきたチームメイトが「学生から見るJALの今後取るべき戦略」を発表。「海外客向けに日本らしい丁寧なおもてなしや、そのPRの充実を」などと訴え、企業側からも高い評価を得たという。

  課外活動では、自由に参加できるバドミントンサークルで心地よい汗を流したり、英語でディベートするサークルで英語力を伸ばしたり。さらには日本と中国の学生交流活動を実施する「日中学生交流連盟」の活動にも関わっている。

  昨年の夏休みには、この連盟と国際交流基金日中交流センターが共催した実践的ビジネス体験・日中文化交流プログラムの「リードアジア2014」に参加し、ソフトバンク、JTB、サントリーなど日本の大手企業を訪問。グループワークを通じて、それらの企業で新規事業の提案発表などを堂々と行った。「学生なので提案は未熟だったかもしれませんが、一連の経験はとてもためになった」と振り返る。今年からは、同プログラムを運営面でさらに盛り上げたいと副実行委員長に就任し、奔走している。

  実家からの仕送りはほとんどない。学業が優秀と認められ、授業料免除の待遇を受けるほか、生活費は奨学金とアルバイトで賄っている。昨年の夏休み(リードアジア活動の前後)には、静岡県伊豆半島にある海のそばの旅館で、住み込みのアルバイトも初体験した。海のない成都で育ったせいか「休憩時間にはビーチで泳いだり、旅館でバーベキューを楽しんだり」と、夏の海を満喫しながらの仕事になった。

  そのほかのアルバイトとしては、都内の日本語学校で学ぶ留学生を対象として、日本の大学に進学するための受験対策を教える講師も務めている。

  こうして曾さんの学生生活は万事うまくいっているようだが、ここまでの道のりは、常に自分自身との戦いでもあったようだ。

小さいころから育まれた自立心


  生まれは四川省南東部に位置し、長江に沿う河港を持つ経済都市の瀘州市。

写真を拡大一橋大学の「東本館」(登録有形文化財)の前で。ここ国立キャンパスは、優雅な近代建築や洋風庭園があり、テレビドラマや映画のロケ地としても人気が高い

  小学4年生の時に、家族とともに省都・成都市に移住し、中高一貫校で省内トップクラスの進学校である成都外国語学校に入学した。学校は英語に力を入れていたが、設立されたばかりの日本語コースを選んだのは「たまたまでした。他の人と違うことをやってみたかったから」。

  日本に対しては「近くて、経済が発展している国」というイメージしかなく、「とくに日本が好きというわけでもなかった。クラスメートの大半が好きな日本のアニメも、ぼくはあまり見ませんでした」と正直に語る。人と違ったことをしたがるのは、個性の豊かさゆえだろう。

  両親はともに地元ホテルの料理人で、母親はのちに観光地の土産物屋の経営者になり、多忙をきわめた。曾さんは成都に移住した小学生のころから寮住まいとなり、「忙しさもあって、ぼくの親は放任主義でしたね」と振り返る。

  一人っ子政策をとる中国では、多くの親が子どもを過保護に育てがちだと見られている。曾さんの周りにも、親につきっきりで宿題を見てもらったり、マイカーで送迎されたりする友人がいたが、「ぼくの場合は何でも一人でやりました。いくつかの中学の受験願書受け取りから申請まで、さらには成都外国語学校の受験当日も、バスで1時間半かけて一人で向かったんですよ」。

  寂しさを覚える一方で、その孤独感が、早くから自立心を育むことになったのかもしれない。成都外国語学校での成績もバツグンに優秀で、同校からの推薦を受けて「心連心」第5期生の一人として全国から選ばれた。

ベランダで一人、泣いたことも


写真を拡大「リードアジア2014」の参加学生と。中国人留学生、日本人学生、中国から短期訪日した中国人学生とグループワークを行い、日本企業などを訪問した(曾毅春さん提供)

  こうして曾さんは2010年9月から約1年間、「心連心」プロジェクトで岡山県北部の新見市にある岡山県共生高等学校に留学した。中国やアメリカなど、海外からの留学生受け入れに積極的な私立の男女共学校だ。

  人口が約1,400万人の大都会である成都から、約3万人の山あいの街、新見市にやってきた時、「正直いって、あまりにも田舎で驚きました」。

  昼間、街を歩いても、ほとんど人とすれ違うことがない。駅前にはコンビニもマクドナルドもなく、映画が好きなのに映画館も1つもない。とくに留学当初はホームシックにかかって、寮のルームメイトに気づかれないよう、夜更けのベランダで1人、泣いていたこともある。

  「15歳で急に、環境や言葉の違う異国へやってきたんです。春節(旧正月)の時も、旧正月を過ごさない日本は静か。寂しくて、母親にインターネット・テレビ電話をかけて、思わず泣いてしまいました」

  そんな「辛さ」を覚えた時期もあったが、しだいに環境にも慣れ、バスケットボールや国際交流の部活動「インターアクトクラブ」を通して友だちも増えていった。

  担任の英語教諭、尾山誉先生によくしてもらったことも忘れられない。読書好きで活動的な面もある尾山先生は、週末などを利用し、留学生を連れて岡山県内外の中古本販売チェーン「ブックオフ」や、山あいにある陶芸教室に連れていってくれた。

  「先生の影響で、日本の本をよく読むようになりました。村上春樹の作品や、吉田修一の『悪人』、西村賢太の『苦役列車』といった社会性の強い小説が印象に残っています」

  学校の特別コースでは、ノルウェーの男子留学生と1年がかりで浴衣を縫った。立派に仕上がり、今も「新見の思い出」として成都の実家に大切に保管されているという。

  新見での留学生活を振り返ると、「辛かったけれど、楽しいことも多かった。辛さを経験することで成長がある。自分が一回り大きくなった1年でした」と胸を張る。

留学生は2倍、3倍の努力が必要


写真を拡大大学の友人たちと、クリスマスパーティーで盛り上がった(曾毅春さん提供)

  再び日本に留学して約2年。日本でのキャンパスライフにもすっかり慣れたが、それでも一橋大学の“看板学部”といわれる商学部の授業は難しい。いくら日本語に堪能でも、専門用語が次々と出てきて、留学生にはその意味を理解するのに苦労する。

  「競争準拠枠(カテゴリー・メンバーシップ)」「市場浸透価格設定(ペネトレーション・プライシング)」「上澄み吸収価格戦略(スキミング・プライシング)」などなど。

  まず日本語と英語で意味を理解した上で、それを中国語に訳して記憶する。同じ単語の意味を3カ国語でチェックしなければならず、当然、日本人より多く勉強しなければならない。

  「同級生には、ぼくは『頭のいい優等生』だと思われているようです。でもそうではなくて、日本人学生より努力しているから成績がいいほうなんです」

  日本語と中国語だけを取ってみても、たとえば日本語の「手紙」が中国語で「トイレットペーパー」を表すように、同じ漢字でも意味の違う言葉は数多くある。

  経済学でよく使われる「超過供給」とは、日本語では「需要量よりも供給量が多い場合の供給量の超過分のこと」を指すが、中国語では「それ(主語)が供給よりも多いこと」を指す。ほとんど逆の意味になり、理解するのに大変なことこの上ない。

  期末試験前には、寮のそばのファミリーレストランで毎日深夜まで勉強したが、混雑する日曜には「勉強はご遠慮ください」と店から追い出されてしまった。「空気が読めなくて、恥ずかしかったです(笑)」。それだけ努力し、日本人の2倍、3倍も勉強している。

  時には日本人学生に尋ねられ、授業の内容を教えることまであるという。

ビジネスを通じた日中の懸け橋に


  卒業後は、「日本企業かまたは中国企業で、中国や日本にかかわる部署で働きたい」。これまで日中で積み上げてきた学びや経験を、存分に生かしたいと考えている。

  「中国のIT企業の海外事業部」も選択肢の1つだ。

  中国のインターネット通販最大手「アリババグループ」の時価総額は、昨年11月に約29兆円となり、中国企業では最大規模、米市場でもトップ10入りする規模に成長している。

  「IT産業は世界的にも新しい分野です。工業などでは遅れをとった中国ですが、このアリババをはじめテンセント、百度、小米など、中国のIT企業は国際的にも競争力を高めている。将来性があるし、IT分野で日中をつなぐ仕事ができたら……」とも。

  ビジネスに魅力を感じるのは、「将来は裕福になりたいから(笑)」。そんな素直な思いがある一方で、確固とした信念もある。

  「ビジネスは、イデオロギーや価値観にしばられることがないと思う。いいモノやサービスであれば消費者が買ってくれる、現実的なしくみです。しかも社会や文化交流に貢献できる可能性がある。ぼくはビジネスを通じた、日中の懸け橋になりたいのです」

  四川生まれの努力家の青年が、ビジネスで日中をつなぐ日も、そう遠くはなさそうだ。

(取材・文:二井康雄、小林さゆり 取材日:2015年2月11日)

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