参加者インタビュー
Interviewインタビュー 日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました
節目の十期生、日中つなぐ一歩を踏み出す
身長がグンと伸びた生徒、だいぶ頼もしい顔つきになった生徒――。約1年間にわたり、日本各地での留学を終えた31人の中国人高校生たちからは、一回りも二回りも大きく成長した姿が見て取れた。
帰国前夜となる7月15日、東京都内で「心連心:中国高校生長期招へい事業」第十期生の帰国前報告会と歓送会が開かれた。全国から駆けつけたホストファミリーや受入校の先生、事業を行う国際交流基金日中交流センターの職員らに祝福されて、節目の年の十期生もまた、輝かしい“卒業”の時を迎えた。
一致団結のすばらしさ伝えたい
日中交流センターが設立十周年を迎えた今年は、十期生の歓送会とともに記念レセプションが盛大に開かれた。直前の報告会では、どこか張りつめた面持ちで留学成果を発表し、修了証書を受け取っていた高校生たちも、ここでは緊張がほぐれたのだろう。以前よりずっと滑らかになった日本語を交えておしゃべりしたり、笑い合ったりと大きな歓声を上げていた。
若さはじける会場で、留学の一番の思い出や成果について聞いた。
「日本で一致団結することのすばらしさを知った」と強調するのは、高校野球の強豪校、福井県の敦賀気比高等学校に留学した宋仕喆(そう・してつ)君だ。中国では、同じ一人っ子世代には我の強い人が多いせいか、結束して何かをやることはあまりなかったという。
以前トランペットを習っていた宋君は、留学先では吹奏楽部に入部。生まれて初めて挑んだ合奏では「タイミングが合わず、出だしに遅れてみんなに迷惑をかけました」と苦笑する。
それでも練習に練習を重ね、春のセンバツに出場した野球部の応援団の一員として、晴れの舞台の甲子園で演奏したことは忘れられない。
「ぼくらの高校は惜しくも2回戦で敗退しましたが、広いアルプススタンドで思いっきり演奏できてサイコーだった。長春の高校に帰ったら、一丸となることのすばらしさをみんなに伝えたい」。仲間とのかけがえのない思い出は「宝物」だと語ってくれた。
沖縄県立向陽高等学校に留学した王逸雯(おう・いつぶん)さんは「イチャリバチョーデー」という沖縄の方言が大好きだという。
「『一度会ったらみんな兄弟』という意味で、沖縄の人たちが大事にしている言葉です。道に迷った私を目的地まで連れて行ってくれた、ある店員さん。慣れない私にやさしく声をかけてくれたクラスメート。最後に寮を出る日の朝は、授業中だったのにみんなが集まり、泣きながら見送ってくれた。『イチャリバチョーデー』を実感しました」
豊かな自然とやさしい沖縄の人々が「メッチャ好きになった」という王さん。近い将来、日本の大学に留学し、沖縄を再訪するのが今の願いだ。
周囲の支えに気付かされ
大阪府高石市の清風南海高等学校に留学した韓東学(かん・とうがく)君は、日中の相互理解を深めようとSNSのLINEグループを使い、クラスメートにアンケートを取ったところ、驚いた。
「アンケートは中国の印象など全14問。そのうち中国の国旗を調べずに書いてもらったら、もちろん正しい『五星紅旗』もありましたが、三ツ星や四ツ星、星の位置が違うデザインまであった」
留学先は有名な進学校だが、それでも日本人の中国認識には誤解もあることに気がついた。そこで保護者会や特別講座の講師を進んで引き受け、中国の学校事情や「心連心」プログラムについて丁寧に紹介した。
「ぼくは(同校で)初めての中国人留学生。だからこれからも後輩たちが留学しやすいように、勉強や生活態度でいい印象を残したかった。中国人留学生としての自覚と使命感を強く持ったのです」
アンケートでは、韓君と接して「中国や中国人に対するイメージが変わった(良くなった)」と書いてくれた生徒もいて「自分の努力が報われた」と手応えも感じている。
今年4月に震度7の揺れを相次いで観測した一連の熊本地震。甚大な被害を受けた熊本市に隣接する宇土市の宇土高等学校に留学した侯天姸(こう・てんけん)さんは、地震後しばらく避難所での生活を余儀なくされた。寒くて狭い避難所で、たびたびの余震に見舞われ気弱になることもあったが、「幸いホストファミリーが全員無事で付き添ってくれたので、怖くなかった。私は一人じゃないんだと励まされた」。異国の被災地で、愛の強さ、周囲の支えのありがたさに気付かされたとキッパリと語る。
その後、京都の立命館宇治中学校・高等学校に転校した侯さんだが、学校と日中交流センターの特別なはからいで帰国を前に熊本へあいさつに戻ることもできた。「(大学を卒業したら)次は日本の大学院に留学するのが夢。熊本の復興を見たいし、みんなの元気な姿も見たい」。頼もしい未来を語り、笑みをこぼした。
ホームステイで異文化交流を促進
“日本の家族”として高校生たちを温かくサポートしたのが各地のホストファミリーだ。
埼玉県の影山ファミリーは、ご長女と同じ県立蕨高等学校に通う王雨竹(おう・うちく)さんを年末年始の3週間ほど受け入れた。
「一番気を遣ったのは、健康面ですね。少し体調を崩したことがあったのですが、本人は病院に行きたがらない。『じゃあ中国のご両親に相談して』というと『心配をかけるからイヤだ』と。それで『大事になったらどうするの!』と一度厳しく叱りました」(ホストマザー・影山厚子さん)。幸い王さんの体調は自然に回復。遼寧省の両親からは、ホームステイ受け入れに対する丁重なお礼の手紙が、中英2カ国語で寄せられたという。
「これまで中国は遠い存在でしたが、中国人留学生を初めて受け入れ、スマホやタブレットを使いこなす王さんに中国の発展を見た思いも……」(ホストファザー・影山敏幸さん)
王さんの受け入れは、互いの異文化交流の促進にもつながったようだ。
計329人の留学生、高校卒業後に約半数が再来日
今年、設立十周年を迎えた日中交流センターの事業は大きく分けて3つある。日中の青少年間のネットワーク構築を目指し、さまざまな交流プログラムを行う「ネットワーク強化事業」、中国の地方都市に「ふれあいの場」を開設し、日本への理解と日中交流を促進する「中国ふれあいの場事業」、そしてこの「中国高校生長期招へい事業」だ。
会場の大型スクリーンを使って紹介された「10年のあゆみ」によれば、この招へい事業で日本各地に留学した中国人高校生は合わせて329人に上る。そして高校をすでに卒業した268人中125人(約47%)が再来日して日本での進学または就職を果たしたという。つまり“再来日派”はおよそ2人に1人という高い割合であることが示されたのだ。
第五期生で、今回帰国を迎えた第十期生の先輩にあたる曾毅春(そう・きしゅん)さんも“再来日派”だ。現在は一橋大学商学部の3年生。この夏休みは、日中の大学生による合宿型の企業訪問プログラム「リードアジア」(日中交流センター・日中学生交流連盟共催)の実行委員長に名乗りを上げて、実施準備に奔走している。中国人学生が実行委員を務めるのは初めてのことだそうだ。
「今回は、来日する中国人学生を含め約40人が参加します。実践型ビジネス体験として、資生堂、JTB、NEC、ファーストリテイリングなど日本の会社10社以上を訪問するので何かと大変ですが、やりがいも大きい。それに何より、高校時代の日本留学のおかげで今のぼくがあると思う。実行委員長を務めるのは、日中交流センターへの“恩返し”の気持ちもあるんですよ」
9月からは半年間、交換留学生としてベルギーの名門大学に留学するという曾さん。第五期生としての誇りを抱き、活躍の場を広げている。
「きっと僕らはわかり合える」
日中交流センターの職員で、招へい事業に直接かかわる浅田さんは、十期生について「飛びぬけて優秀な生徒もいれば、やんちゃな生徒もいて個性豊か。元気いっぱいでしたね」とその特徴を振り返る。
各地の高校やホストファミリーからは「(生徒が)わがままで意見を曲げない」「好き嫌いが多くて食事に困る」といったクレームもあり、調整役として幾度となく心を砕いた。それだけに無事“卒業”の日を迎えられ、喜びもひとしおだという。
「じつは今日、十期生からセンターの職員一人ひとりに思いがけないプレゼントがあったんです。寄せ書きの色紙で『仕事大変だったのに、ありがとうございました』とか『中国に会いに来てください』とか上手な日本語で書かれていて、ジンとしました」
その色紙は、十期生たちの成長のしるしだったに違いない。
「センターも、事業も10年。これからも多くの方のご支援をいただきながら、次の10年、20年を目指して私たちも頑張りたい」。浅田さんはそう前を見据える。
十週年記念レセプションの初め、会場ではシンガーソングライターの馬場克樹さん(元国際交流基金職員)と十期生による合唱「対面―君と向き合って―」が披露された。
♪「勇気を出して踏み出そう きっと僕らはわかり合えるから」
(詞曲:李浩、日本語詞:馬場克樹)
力強い歌声に乗せて、十期生たちは日中をつなぐ新たな一歩を踏み出していた。
取材/文:小林さゆり 取材日:2016年7月15日