参加者インタビュー
Interviewインタビュー 日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました
日本での思いを胸に、新たな旅立ちへ
今年も、「心連心:中国高校生長期招へい事業」に参加し、約1年間にわたる日本各地での留学を終えた中国の高校生たちが巣立っていった。帰国前夜となる2018年7月13日、東京都内で第12期生の帰国前報告会と歓送レセプションが開かれ、受入校の先生方やホストファミリーら関係者の祝福に、生徒たちは晴れやかな笑顔を見せた。
自分を鍛え、自立心を養って……
「私が通う北海道のとわの森三愛高等学校はキリスト教の学校です。毎週月曜日に礼拝があります」と、研修冒頭の「私の半年間発表」で留学先の高校を紹介する路欣平さん。「キリスト教の文化に触れるよい機会になりました」と話す。
「この1年で、一番の成果は?」。流暢な日本語と中国語が飛び交い、歓声に沸くレセプション会場で、高校生たちに直撃した。
「剣道部に入り、自分を鍛えたこと!」と目を輝かせるのは、埼玉県立蕨高等学校の江娉(こう・ひん)さんだ。初心者ゆえに絶えずアザを作るなど「死ぬほどしんどい」思いもしたが、やがて試合で勝てるまでに上達した。
部活での貴重な体験で、日本語にも磨きをかけた。厳しい「上下関係」をもとに「日中の違いを認めることの大切さ」というテーマで県の日本語スピーチコンテストに出場したところ、見事1等賞を獲得したのだ。
「マジ」「やばい」といった今どきの若者言葉も会話の中からポンポン飛び出す江さん。多彩な留学生活を送ったようだ。
長野県長野西高等学校の賈雯(か・ぶん)さんは、書道班の活動で大字パフォーマンスに挑んだことを挙げてくれた。日本で初めて体験したが「地元のイベントや文化祭で、みんなと協力して1つの作品を作り上げたのは楽しかった」と笑顔を見せる。周囲の温かな支えにより「自立心」も向上し、中国にいる両親への連絡も次第に間遠になったほど日本の高校生活を満喫した。
「友だちがいっぱいできた。同級生はもちろん、同学年の3年生とはほとんど知り合いになりました」と胸を張るのは、横須賀市立横須賀総合高等学校の張禹羲(ちょう・うぎ)君だ。交流を深める中で「最初は慣れなかったけど『空気を読む』とか、思いやりから『曖昧に話す』とか、日本人とのつきあい方がよくわかった」。
留学を経て、スクールメイトとすっかり打ち解け合った様子の張君。来春の卒業式には「中国から駆けつけるよ」とみんなと約束したという。
先輩たちの多くが日中の懸け橋に
心連心プログラムを今年“卒業”するのは、第12期生28名。9月には第13期生たちが新たに中国からやってくる。
プログラムを実施する国際交流基金日中交流センターによれば、これまでに受け入れた中国の高校生は12期生までで累計390人。うち、すでに高校を卒業した人が329名だが、その約半数に当たる160名が進学や就職により現在日本に滞在しているという。
レセプションに先立つ報告会で、同センターの堀俊雄所長は「当初の予想を上回る数字だ。日中の懸け橋になった卒業生がそれだけ多くいること、卒業生の活動のすそ野が広がっていることを示している」とその実績を報告。先輩たちに続く12期生の今後の活躍に期待するとともに、関係者らの支援に対して謝意を表した。
来賓挨拶に立った駐日中国大使館の安載鶴(あん・さいかく)一等書記官は、日中平和友好条約締結40周年の今年、中国の李克強首相が日本を公式訪問したことについて触れ、「中日交流は再び発展の軌道に戻った」と強調。さらに「みなさんは留学をきっかけに、中日友好の使者としての役割をはたして」とエールを送った。
激励の言葉を受けた12期生たちは、さまざまな思いを胸にしたことだろう。1人ひとりがしっかりと前を見据えて聞き入っていた。
新しい文化が入り中国の印象変わる
今年も留学生たちが無事この日を迎えられたのは、周囲の支援があればこそだ。
会場では、北は秋田から南は鹿児島まで各地から駆けつけたホストファミリーが、留学生の門出を祝うとともに、別れの時を惜しんでいた。
埼玉県の吉田ファミリーは、前述の江娉さんと2カ月間ともに暮らした。中国人留学生の受け入れは初めてだったが、「家の中に新しい文化が入ってきました。食事の違いや『三国志』の話……。毎日話題が尽きなくて寝不足になったくらい(笑)」(お母さん)。
「小学生の子どもたちへの影響が大きかった」と振り返るのは、お父さんだ。テレビで見る中国はネガティブな印象だったが、「江さんに来てもらい、すごく変わった。兄弟はお姉ちゃんによくなつき、今では『中国に行ってみたい』と言っているんですよ」
江さんのそばを離れようとしない小さな“弟”と、それを見守る吉田ファミリーは、本当の家族のような和やかな雰囲気だった。
横須賀市立横須賀総合高等学校の向畑先生は、心連心での受け入れは12期生で3年目だったと振り返る。
「国際教育を特色にする学校で、各国からの留学生との交流を深めています。中国人留学生は日本語で授業を受けているのにきちんと理解し、テストでいい点を取る人もいて、周りの生徒が驚いていました」。努力家で優秀な人が多いという心連心の留学生は「生徒たちのいい刺激になる」と、今後も引き続き受け入れていく計画だ。
災害を乗り越えていく日本を知る
この1年は、大きな自然災害が続いた年でもあった。
7月の西日本豪雨に遭った広島市立舟入高等学校の劉雯珊(りゅう・ぶんさん)さんは、幸い集中豪雨の災禍を免れ、ホストファミリーとともに無事だったという。
会場では、北は秋田から南は鹿児島まで各地から駆けつけたホストファミリーが、留学生の門出を祝うとともに、別れの時を惜しんでいた。6月の大阪府北部地震(M6.1)で、まさに震源地にあたる高槻市にいたのが施奕璘(し・えきりん)さんだ(大阪府立三島高等学校に留学)。
「縦にメッチャ揺れて恐かった。ホームステイ先では、本とか写真立てとか結構落ちて大変でした」
幸い大きな被害はなく、周囲の温かなサポートや励ましのおかげで、施さんは最後まで頑張り抜くことができた。
「来日してすぐ、都内の防災館で地震の揺れを体験する研修を受けたので、心の準備ができていたかな。それに地震があった後も、いつも通りに通勤する人々を見て、日本人の冷静さに驚きました」
災害を乗り越えていく、ありのままの日本の姿だった。
インタビューの最後には、それぞれ将来の夢について尋ねたが、「日本の大学に入りたい」「中国の大学で日本語をもっと勉強します」など、頼もしい返事をしてくれた12期生たち。それぞれが日本でのかけがえのない体験を胸に、新たなスタートを踏み出していた。
取材/文/写真:小林さゆり 取材日:2018年7月13日