参加者インタビュー
Interviewインタビュー 日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました
第14期生来日。豊かな感性で、思いもよらない日本の「発見」を
2019年9月6日、「心連心」第14期生来日歓迎レセプションが東京近郊で開催された。新たに来日した26名の第一印象は、「大人びて個性的」。会場で彼らの豊かな感性に触れた。
「原研哉さんのようなデザイナーになりたい」
「上海から来た田多多(でんたた)と申します。日本の料理をつくれるようになりたいです」
「西安から来た孟沁培(もうしんばい)と申します。中国とは違うライフスタイルや考え方を学びたいです」
「蘇州から来た王小禾(おうしょうか)と申します。日本人の効率的なやり方を学びたいです」
3日前に来日したばかりの14期生が、来日歓迎レセプションで、流暢な日本語でスラスラと自己紹介をしていく。留学中にやりたいことのイメージも具体的だ。
「化学が大好きで、日本の先進的な化学を学びたい」という王子旎(おうしじ)さんや、「撮影の技術を磨きたい」と話す何心鈺(かしんぎょく)さん。
成都出身の胡軼睿(こいつえい)君は、「趣味はピアノですが、自分へのチャレンジとして、剣道部に入りたいです」。-Fiが完備されていて、自主的、効率的に学習できます。故郷にはまだないものなので、帰ったら学校の先生に話したい」
会場が笑いに包まれた。
陳儀(ちんぎ)さんの自己紹介がまた、印象深かった。
「日本の芸術に関する知識を学んで、将来は原研哉さんのようなデザイナーになりたいです」
あとで話を聞くと、子供のときからデザインに興味があったそうだ。家族で日本を旅行したとき、コンビニに並んだ牛乳パックに目がいった。
「いろいろなデザインの牛乳パックが並んでいて、とてもきれいでかわいいと思いました。それに、細部にもデザインした人の暖かい気持ちが込められているようでした」
帰国後、日本人デザイナーについて調べていて出会ったのが、原研哉氏の本だった。
「まだ完全に理解できているわけではないのですが、デザインの理論など、とても参考になりました」と、陳さん。自分もみんなに使ってもらえるような美しいデザインの商品をつくりたいと思ったと語る。
「地理の専門書を翻訳したい」
毎年、「心連心」の生徒たちを取材していると、年々、興味や趣味の範囲が広がっていると感じる。
以前は、バトミントンや卓球、漫画やアニメなどを挙げる生徒が多かった。今は、絵画やピアノ、テコンドーや空手などもごく一般的になった。中にはマニアックな趣味をあげる生徒もいる。上述の陳儀さんは、「ウェス・アンダーソン監督の映画鑑賞」。デザイナー志望の彼女らしいセンスを感じる趣味だ。
そしてそんな彼らと話をしていると、その意外な着眼点や発想に、はっとさせられることも多い。
今回、4年前に習い始めたバイオリンを持参したという広州出身の肖筠(しょうきん)さんは、将来、専門書の翻訳家になりたいと言う。どういう専門かと問うと、「地理と生物」。
小学校の先生の父親が地理に関する仕事をしていて、学校でいつも地理の話を聞いていたそうだ。そのときからずっと地理が好きだった。
「でも、中国では地理の専門書が少なくて、資料を調べるとき大変なんです。日本の地理の研究はすばらしいと聞いたので、日本語の地理の本を翻訳したいと思いました」
特に、海や気候などに関する分野の本を翻訳したいと話す肖さんに、おもわず「へえ!」と感心してしまった。
また、自己紹介で「撮影の技術を磨きたい」と話していた何心鈺(かしんぎょく)さん。日本でやりたいことをたずねると、「日本はビルとビルの間が狭く、道もさまざまに交差していて、不思議だと感じます。そういう写真をとりたいと思いました」と、思いがけない答えがかえってきた。
広東省深セン市出身の何さんにとってビルが立ち並ぶ光景は見慣れたもののはず。しかし「深センでは、ビルとビルの間は東京ほど狭くない」と話す。建物が林立する東京の街を自分の足で歩き、その光景に感じるものがあったようだ。将来の夢は映画関係の仕事につくこと。「心連心」の留学生活が貴重な体験になることを、何さんは楽しみにしている。
羽生選手がきっかけでフィギアスケートにはまる
改めて、14期生のプロフィールを見て気づいたことがある。それは、将来なりたい職業のバリエーションが豊かだということだ。これまでも、「外交官」「同時通訳」などを挙げる生徒は少なくなかった。だがどちらかというと、「日中の架け橋になるような仕事をしたい」「日本の大学に入って、日本の企業に入りたい」など、漠然とした目標や近い将来を答える生徒が多かったように思う。
ところが今期は、医者、画家、建築士、ゲームデザイナー、小説家、編集者、さらには「フィギュアスケートの技術審判員」と書いている生徒までいる。
山東省済南市出身の徐欣然(じょきんぜん)さんは、羽生結弦選手がきっかけでフィギアスケートにはまった。羽生選手は中国でも人気が高い。徐さんが羽生選手に魅せられたのは、2015年NHK杯のときのこと。当時は単に「すごいな」と思うにとどまったが、それから次第にフィギアスケートの世界をより深く知りたくなった。そこで、翌年には自分でもフィギアスケートを始めた。
「でも、スケートリンクは家からとても遠いんです。渋滞がなくても、車で片道50分くらい」と徐さん。普段の週末は塾通いで、スケートリンクに行けるのは、夏休みと春休みくらい。でも簡単なスピンができるようになった。「本当に一番簡単なスピンですけれど」と、はにかむ。今は審判についての知識を学んでいると言う。
希望の職業に、「医者」と書いていた山西省太原市出身の史錦超(しきんちょう)君と、「心理学医師」と書いていた上海出身の田多多(でんたた)さんにも話を聞いた。
史君は小さいころ病弱で、病院に行くことが多かった。大病はしたことがないが、日常的に医者と接するうちに、「お医者さんはえらい」とあこがれるようになった。
田さんは身近な所で自殺があったことがきっかけで、心理カウンセラーの必要性を感じた。でも実は、獣医にも興味がある。理由は「動物がかわいいから」。高校生らしい素顔が、ちらりとのぞく。
そんな二人の留学先は、ともに北海道の酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校だ。レセプションには留学先の高校の先生も、北海道から駆けつけた。
「日本に来てくださって本当にうれしい、ありがとう!」と二人に声をかける家山麻希先生。
「ぜひ、部活にも入って思い出を深めてほしい。運動部は全国大会に行くくらいで、ハードですけれど」
そう話す家山先生に、史君は「運動部に入りたいです!」と、元気よく答えた。
10年後につながる絆の輪を
会場には「心連心」事業を支える多くの関係者が集まり、始終、なごやかな雰囲気だった。
来賓挨拶で、「ぜひ多くの友達を作って日中友好のためにもがんばってほしい」と語った駐日中国大使館教育部公使参事官の胡志平氏。乾杯の音頭で、「隣の国でも実際に行ってみないとわからない、みなさんも日本でたくさんの発見してほしい」と語った外務省文化交流・海外広報課課長の川瀬和広氏。
受け入れ校代表として壇上に立った長崎県活水高等学校教頭の石村直義先生は、「みなさんからたくさんの抱負を聞き、志の高さにびっくりしました。それらはきっと実現すると思います」とエールを送った。
また、受け入れ校の生徒代表をつとめた東京学芸大学附属国際中等教育学校の久保真由子さんは、今年3月に日中交流センターの事業で訪中したときの体験を語り、「自ら進んで行動することで、留学生活がもっと有意義になる。出会う人や体験を大事にしてほしい」と話した。
ホストファミリーとの交流も盛り上がった。ひときわ賑やかだったのが、小学生の男の子二人と一緒に参加した吉田家。デザイナー志望の陳儀さんのホストファミリーだ。人なつこく話しかける男の子たちに、陳さんは「すごくかわいい」と顔をほころばせる。
吉田家が「心連心」の生徒を受け入れるのは、今回で3回目。実は以前、お世話した12期生の江娉(こうひん)さんは、今も「居候」している。中国の高校を卒業後、大学受験のため再来日し、吉田家に帰ってきたのだ。その江さんもレセプションに参加していた。
「吉田さんの家で暮らせて、本当に幸せ!」と、満面の笑みの江さん。留学当初は日本語もあまりわからず不安だったが、家族がみんなとてもやさしく、いつも賑やかで、大きな安心を得たと言う。今度は陳さんも加わり、さらに賑やかなビッグファミリーになりそうだ。
レセプションも終わりに近づいたころ、卒業生を代表して、「心連心」4期生の張亜新(ちょうあしん)さんから歓迎の言葉が送られた。
自分を信じて自分の行動と選択に責任をもってチャレンジしていくこと、待つよりも自分から行動すること、喜びも悲しみも誰かとシェアすること。そして、人生は一直線ではなく、絆で円になっているという話。
「心連心の留学から10年。振り返ると、今の横のつながりも、過去からのつながりも気づいたらみんなつながって円のようになっていました。みなさんもいろいろな人と交流して、10年後につながる絆の輪をつくってください」
そんな風にしめくくった張さんに、会場から大きな拍手が送られた。
今年もまた、26名の生徒たちが、北海道から沖縄まで、それぞれの地で留学生活をスタートする。それは「未知の土地での、未来につながる友達づくり」という大いなるチャレンジでもある。
ただ、今の中国の高校生にとって、日本は決して「遠い国」ではない。趣味や興味の幅が広いということは、友達づくりのチャネルも多いということでもあるだろう。彼らはその豊かな感性で、思いもよらない日本を「発見」するかもしれない。それが日本人にとっても学びの場となれば、これまで以上に交流も深まりそうだ。今年も、新たな「絆の輪づくり」への一歩が踏み出された。
取材を終えて
全体的に大人びた雰囲気の第14期生だが、あどけなさの残る一面もあった。休憩中、来日してから東京で食べたものを聞いたときのこと。「どんなものを食べた?」とたずねると、みないっせいに「いろいろー!」。「何がおいしかった?」と聞けば、「ぜんぶー!」。思わず吹き出してしまった。
取材・文:田中奈美 取材日:2019年9月6日