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参加者インタビュー

Interviewインタビュー 日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

いつも一生懸命だから

第6話では和歌山県立那賀高等学校に通う遅宇希さんを再度取材に訪れた。1、2月と沖縄への修学旅行や中間研修、それからマラソン大会とイベントが目白押し。多忙のあまり日記の更新もままならなくなってきたようだが、それも充実した生活の証と、話を聞くのを楽しみに訪れた。

沖縄を訪れて

修学旅行先の沖縄でシュノーケリングを体験中

取材に訪れたのは、中間研修が終わってから2日後。翌日にはマラソン大会、翌々日には卓球部での高野山登山など、その後も様々な予定が組まれている。特に部活動に加わり、マラソン大会の練習が始まってからは、「家に帰るとすぐ寝たい」(遅さん)というほど体力を使いきる毎日が続いている。現在遅さんは15歳。日本で言うなら中学3年生だ。卓球部の北畑先生も「この時期、学年が一つ違うだけでもその体力差は大きい」と気遣いを見せる。

しかし、体力的には疲労が溜まってきているに違いないが、遅さんの口調も表情もすこぶる明るい。修学旅行の話、学校の図書館で毎年開催される百人一首大会に参加したこと、一人で難波に出かけたこと。積極的にこの数ヶ月に体験したことを話してくれた。

「沖縄では、一日目は平和学習。ひめゆり学徒隊だった80歳くらいの女性に当時の話を聞きました。とても悲しく忘れられない話でした。2日目は海でシュノーケリング。珊瑚の中を小さな魚がたくさん泳いでいて、すごくかわいかった」

沖縄という地名は知っていたが、そこに戦争の悲惨な歴史があったことはこの修学旅行で初めて知ったそう。美しい沖縄の海を堪能するとともに、貴重な体験をまた一つ得てきたようだ。

言葉の壁を乗り越えて

担任の小林先生と修学旅行の話を振り返って

前回の取材では、敬語がなかなかうまく使えず、卓球部の先輩に話しかけられないと悩みを抱えていた遅さん。

「やっぱり運動部は文化部とちょっと違う。茶道部にいた時はそんなに気にしなかったけど、卓球部は上下関係が厳しいと感じます。言葉にも気をつけなければならないし、早めに行って1年生が準備しなきゃいけないとか」

それでも徐々に敬語や上下関係にも慣れてきているようだ。1月25日の日記には、部活の先輩の家に集まりたこやきパーティーを楽しんだ様子が綴られている。

やっとラリーが様になってきた。3月の市民大会出場を目指して

「ほんまに楽しかった。先輩ともいっぱい喋った。帰った後、ママに『あした卓球部は何時から』って聞かれたから、『あしたは休みです』って答えた。先輩と喋った後だから敬語になっちゃった。運動部の先輩と話するのが思ったより難しくなかった。これからも頑張るわ~!」(1月25日の日記より)

言葉だけでなく、心理的にも先輩との距離がぐっと縮まったのも大きかったのだろう。「修学旅行よりも楽しかった」との感想を漏らしている。2月の中間研修で発表を行った際には、おかげでうまく敬語や丁寧語を使い発表が行えたとのこと。きっと日々の苦労が報われた思いだったに違いない。

一生懸命頑張るところがかわいい

百人一首大会に自ら名乗り出て参加するなど、最初のシャイな印象とは変わって、積極的に行動するようになってきた遅さん。「留学してデビューじゃないけど、やっぱり少しずつ変わってきたのかなって気がする。ほら、うちはこんなやし」と明るく話すのがホストマザーの坂さん。坂さんの家には、小学生のお子さんが3人いる。自身の子にも手のかかるこの時期、どのような気持ちで留学生を受け入れているのか尋ねてみた。

「自分の子と一緒です。おやつも4つ。うっちゃんが最初の日記に書いていたように、子どもが3人いるから、果物をひとつのお皿に出すと、わーっと子ども達が食べてしまう。最初うっちゃんもびっくりしてたみたいだけど、私が『負けたらあかんで』とはっぱをかけて。これからは兄弟の中で育つんだからね、と」

バレンタインに向けて、長女のまわちゃんとせっせとチョコ作り

お客様、ゲストとして留学生を迎え入れたとしても「そんなの長く続かない。うちの子はこんな風に育ってきているから、早くなじんでねって言います」と坂さんは笑う。まさに「郷に入れば郷に従え」の言葉通り。基本的な食事やお弁当の世話などはもちろん手をかけるが、後は基本的に口をださない。帰りの時間さえしっかり連絡してくれれば、多少付き合いの中で帰ってくるのが遅くなっても構わないと話す。

「この間『時間が空いたから難波に一人で行ってくる』とうっちゃんが言ってきたので、『冒険やナ』と言って送り出しました。誰かについて出かけたら、何も考えずについていくだけでしょう。でも例えば『一駅乗り過ごした』とか、そういうことは後で自分に返ってくると思うんです。いい意味でね」

難波駅では出口が分からず結局2時間ほど迷ってしまった遅さんだが、それでも一人で行動できたという自信を深めている。先回りの心配ではなく大きく見守るのが坂家流。外国語に興味を持っているという坂さんの長女も、小学4年生の時に一人で台湾へ1ヶ月ホームステイを経験している。

「娘ももちろんいいことばっかりじゃなくて、寂しくなって『もう帰りたい』と電話してきたこともありました。でも『自分で行くって言ったやろ。最後までがんばりなさい』と励まして。そしたら帰ってきたら『また来年も行きたい』と言って、その次の年もホームステイさせてもらったんです」

今の遅さんの姿も長女の姿に重なる事があるのだろう。坂さんは「1、2ヶ月目、宇希ちゃんも泣いたことあったんやないかな。かわいそうに」と娘のように気遣う。でも六期生から受け入れている坂さんは、今まで見てきた心連心の生徒が必ず通り、乗り越えてきた道だからと話す。

初参加の百人一首では札は取れなかったそうだが、参加賞をしっかりゲット

「(周囲の人に受け入れてもらえるかどうかってことは)もちろん周囲の環境にもよると思うけど、その子の性格にもよると思う。分からないことがあったら、周囲の人に素直に聞くとか勝手に思い込まないとか。頭のいい子は面白いね。こっちが『えっ』って思うようなことをしたり。勉強はすごく出来るけど、家庭科が全然出来なかったり、縄跳びの後ろ飛びが出来なかったり。でもどの子も一生懸命自分の出来る範囲で頑張ろうとするところが「かわいいな」と思うんです」

最近は坂さんの冗談に冗談で返すほど関西の風土にもなじんできている遅さん。口癖は「もう、こわいわぁ~」だというのがおかしい。「一番楽しい時間は?」との質問の答えは、「今は普通の生活が楽しい」だった。(文責:真崎直子)

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