Voice ~参加者の声~ 李 顔秀さん
「国を繋ぐ架け橋」になるために
名前
李 顔秀(り がんしゅう) さん
プロフィール
1999年生まれ、中国四川省出身。心連心第十期生として、2015年9月から三重高等学校に一年間留学しました。帰国後、日本の大学に進学することを決意し、再度来日しました。2019年3月に東京大学理科二類に入学し、四年間の大学生活を終えた後、今は東京大学理学系研究科に所属しています。
高校一年生の秋、私は「心連心:中国高校生長期招へい事業」に参加しました。31名の同期と一緒に、北京から東京行きのフライトに乗り、そこから一年間の留学生活が始まりました。
私の配属先は、三重高等学校でした。
三重県に来た最初の何ヶ月間は大変でした。初めて故郷から離れ、新しい環境で一人の外国人として暮らすことは、15歳の私にとってまさに冒険のようなものでした。ワクワクしながら旅を始めましたが、最初はいろいろなことにつまずいてしまいました。電車の時刻表を読めず、何度も電車を乗り間違えて学校に遅刻したことがあります。また、日本語もまだまだ上手ではなかったため、古文の授業で頭を抱えた記憶があります。しかし、留学の一年間でたくさんの人に出会い、たくさんのことにチャレンジすることができました。私は弓道部に入り、憧れの部活生活を経験しました。また、同じクラスの子と仲良くなって、クリスマスには一緒にアイドルダンスを披露しました。この一年間の経験を通じで、私の人生が豊かになったと感じています。
しかし、周りの人と仲良くなったとはいえ、SNSやニュースで流されてきた情報の中では、差別と偏見にあたるものがやはり多くありました。それで、「国と国の間の目に見えない溝を、私一人ではとても埋められない」と、強い無力感を抱いた時期がありました。今思えば、そのときの心連心日記でも、微かな怒りと悔しさが滲むような文章を書いていたことを思い出します。「だって、私何もできないじゃないか」と、悲観的に思いました。
そこから6年が経ち、日本にいる時間が人生の4分の1にもなり、少しずつ人生経験を積んできました。今の自分は、高校生時代より前向きになった気がします。なぜなら、「自分のできたこと」と「自分のできること」に目を向けるようになったからです。心連心第十期生として三重高等学校に留学していた時期は、周りの方から非常に優しく接していただきました。それはそれですごく嬉しかったですが、ずっと助けられる側にいると、どうしても助けてくださった方に申し訳ない気持ちになりがちで、「みんなに迷惑をかけてばかり」だとも思いました。
しかし、「あなたと一緒にいたから、中国に興味を持つようになった」と言ってくれた友達がいました。さらに、その時の友達の中で、何人かが大学に入ってから中国語を第二外国語として勉強しはじめたと聞きました。それで、自分の些細な努力も、報われると信じるようになりました。
また、この何年間で、ようやく人を助ける側に回れるようになりました。そんな時に、私が思い出したのは三重高等学校の恩師である秦先生の言葉です。
「若い頃に周りから優しく接してもらったら、大人になってからあなたのような若者に優しく接してあげるとよい」と。先生はこの言葉を実践した一人です。私もこの言葉を重んじて、実践していきたいと思っております。
「国を繋ぐ架け橋になる」という言葉を口にすると、自分には大きな使命が課せられたように感じるかもしれませんが、私はまず、自分のできることから始めたいと思います。
東京大学理学系研究科
李 顔秀
2023年5月5日
中国高校生長期招へい事業 長期招へい生日記
国際交流基金日中21世紀交流事業 | 長期招へい生日記 (jpf.go.jp)