うつす「鏡」、つなぐ「橋」――心連心が教えてくれたこと

名前
韓 浜澤(かん ひんたく) さん
プロフィール
2001年生まれ、中国遼寧省瀋陽市出身。高校2年生の時、国際交流基金の心連心:中国高校生長期招へい事業の第12期生として、東京学芸大学附属国際中等教育学校および鹿児島県大口明光学園高等学校に計10ヶ月間留学。高校卒業後、東京大学法学部に進学。
月日の流れの速さに、あらためて驚かされます。心連心に参加してから、早くも7年が経ちました。あの一年で最も強く印象づけられたのは、日本語でよく使われる「鏡」と「橋」という二つの比喩でした。今回は、この二つを手がかりに、心連心で得た学びを振り返りたいと思います。
「鏡」と対話し続けた一年
心連心での毎日は、まさに「鏡」と向き合う時間でした。外国人学生が私ひとりという環境で、朝から晩まで日本語に囲まれて暮らす日々。日本社会のあり方や人々の価値観、そして振る舞いが「鏡」となって、それまで無意識に受け入れてきた中国の習慣や物事の見方を、ありのまま映し出してくれました。
戸惑いながらも、少しでも早く馴染みたい一心で、私は周囲のふるまいを必死に真似しました。言葉遣い、表情、空気の読み方など、あらゆることをなぞるようにして、その場に溶け込もうとしました。しかし、どれほど模倣を重ねても、胸の奥に残る違和感は拭えませんでした。それは、馴染めない苦しさであると同時に、馴染もうとすることで自分を見失うような感覚でもありました。
そんな中、私は問い続けました。異国の地で、いかにして新しい環境に適応しつつも、自分を失わずにいられるのか。自分の感情は文化のどこに響き、自分の言葉はなぜ届かなくなるのか。問いを重ねるうちに、他者を映していたはずの鏡は、いつしか自分の内面を静かに照らし始めていることに気づきました。心連心で出会った「鏡」は、私の心を揺さぶりながら、これまで見えなかった一面に光を当て、新たな視点で自分を見つめ直すきっかけを与えてくれたのです。
高校留学時代、母国の味を届けた料理大会 「橋」を見いだした一年
その一年は、「橋」という存在を意識するきっかけにもなりました。言葉も文化も異なる環境の中で、強く心に刻まれたのは、人と人とを結ぶ見えない「橋」でした。
風邪で寝込んでいたとき、「無理しないでね」と優しく声をかけてくれたホストファミリー。言葉に詰まりながらも懸命に思いを伝えようとする私に、「ゆっくりでいいよ」と微笑んでくれたクラスメート。中国のことをもっと多くの人に知ってもらいたいという私の願いに応え、中国語教室の開催、地域活動への参加、さらには全国スピーチ大会への挑戦まで力強く支えてくださった先生方。言語の壁を越えて伝わる優しさや心配り、寄り添おうとする思い、そして理解し合おうとする姿勢は、異国で不安を抱えていた私に、計り知れないほどの温もりと安心感をもたらしてくれました。
文化の違いを常に意識する環境にいたからこそ、その奥に流れる普遍的な「人間らしさ」こそが、人々を結びつける最も根源的な「橋」なのだと気づかされました。そして今もなお、橋をかけてくださった方々への感謝の気持ちを、胸に深く抱き続けています。
大学進学後に叶った、留学時代の恩師との再会鏡を通して、橋として、生きていく
心連心を通じて私は、「鏡」によって自分を見つめ直し、「橋」を通して他者とつながることの意味を学びました。それ以来、「鏡」に映して得た気づきを「橋」として、他者と分かち合うことが、自分にできるひとつの役割であると感じています。
心連心終了後も、その思いに導かれるままに、高校3年生では香港の日中青年会議に参加し、大学では京論壇、AFPLA(アジア政治学学生協会)、CAMPUS Asiaなど、日中交流に関わる様々な活動に、参加者として、また運営側として取り組んできました。日中関係という広大で複雑なテーマを前に、自分の未熟さを痛感することも少なくありませんが、それでも、心連心から学び、受け継いだものを、次の誰かへ繋ぐことにこそ意味があると信じています。これからも、その揺るぎない思いを胸に、一歩一歩、着実に歩みを重ねていきたいと思います。
本格中国火鍋を楽しむ、大学のサークル仲間と一緒に
思い出が詰まった、ホームステイ時代のお部屋![JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]](https://xinlianxin.jpf.go.jp/wp-content/themes/original-rwd/img/siteid.png)





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