参加者インタビュー
名前
張 坤傑(ちょう くんけつ) さん
プロフィール
広東省深圳市出身。外国語教育を重点的に行う中高一貫の深圳外国語学校に進学。第一外国語に日本語を選択。高校1年時に「心連心」プログラム第4期生(2009年9月~2010年7月)として沖縄県立向陽高校に留学。現在は北京外国語大学日本語学科の1年生。沖縄留学の影響もあって旅行好きになり、夏休みには海外でのボランティアを計画中。
バーチャルな日本からリアルな日本へ
1993年生まれの張さんは、中国では「90后」(ジウ・リン・ホウ)と括られる世代。この世代の特徴の一つは、多くがマンガ、アニメ、ゲームなど日本のサブカルチャーに幼少期から触れて育つことで、張さんも、小学生時代は「ポケモン」など日本のゲームの大ファン。
中国語版のほか、日本からの輸入版を入手することも多かった。画面の「ひらがな」は読めなかったが、その合間にある漢字で意味を推察しながら遊んでいたという。ゲームから日本語に興味を持ち、外国語教育を重点的に行う中高一貫の深圳外国語学校に進学。第一外国語に迷わず日本語を選んだ。「そのころは特に将来の目的のために日本語を、というわけではなく、言葉が出来たらゲームでもっと遊べる」と思っていたという。そんな張さんだったが、今ではゲームはまったくしなくなり、リアルな日本に日本と日本語へと関心が広がっている。張さんの心には、どんな変化が起きたのだろう。
未知の世界、沖縄へ
一つのきっかけは、高校進学時に日本語教師から教えられ参加した「心連心」プログラムだった。告げられた留学先は、沖縄県南部、島尻郡八重瀬町にある県立向陽高校。沖縄、と聞いた時は、期待と不安が交差したという。「もともと東京や大阪よりも、北海道や沖縄のような違った街に行きたい、とは思っていました。けれど中国では、現在の沖縄がどんなところか情報が少なく、不安でもありました」という。到着した向陽高校は、海に近く、豊かな自然に恵まれた立地。
離島から集まる生徒たちのために設けられた寮に入り、2人部屋での留学生活が始まった。
高校の多彩な活動に参加
2年生に編入、男女30数人のクラスメートとともに過ごした留学生活では、学業では特に苦労はなく、「成績は良いほうだった」という。印象的だったのは、日本の高校の活動の多彩さ。文化祭などのイベントや、家庭科の授業があるのも新鮮だった。一番思い出に残っているのは、向陽高校に設けられている中国語のクラスで教壇に立ったこと。2年生の日本人生徒のためのインターンシップに参加できない代わりの教職体験だった。
授業の内容は自分で考え、「中国と日本の漢字の違い」や「中国語の発音法」などを講義した。日本語よりも、中国語のほうが発音がずっと難しい、など、教えながら気が付くことも多かった。
地方の暮らしを知る
授業以外に深い印象を残したのは、沖縄という日本の一地方の暮らしぶりだった。
離島の生徒が集まる寮で知り合った友達に連れられ、休暇には南大東島や久米島へ出かけた。「島の友達の実家にホームステイして、家族の人たちには本当に優しくしてもらいました」。友達と一緒に海に潜り、珍しい熱帯魚を眺めたり、海岸の奇岩に見とれたりした。出身地、深圳と沖縄は緯度がほぼ近く、環境が似ているところもあったが、それでも深圳にはない海の美しさに魅了された。
留学前、中国で抱いていた日本のイメージは、時間に追われ、毎日遅くまで忙しく働く人々、渋滞する道路や狭い家、といった大都会の仕事中心の生活。けれど沖縄の離島にはまったく別の暮らしの姿があった。「美しい自然のなかで、島の人たちはお互いに親切に、心配事もなく、のんびり暮らしている。理想の社会のようでした」。日本には大都会以外にさまざまな暮らし方があることを知ったという。
多くの中国人観光客が日本に来るようになっても、大多数のコースは、東京、大阪、京都といった都市が中心。張さんのように積極的に離島にまで足を伸ばし、その暮らしを知る中国の若者はまだまだ希少な存在だ。
「日中の架け橋」が夢に
留学後の現在は、北京外国語大学の1年生。深圳外国語大学進学時には特に定まっていなかった将来の夢は、今では外交官か日本企業に勤務し、「日中の架け橋」になること。日系ニュースサイトなどで、日々、日本のニュースにも関心を寄せている。
そう語る張さんに、私は少しためらいながらも質問せずにいられなかった。張さんの留学先である沖縄県の尖閣諸島について、今では毎日のように日中間の領土問題のニュースが流れる。こうした状況について、張さんはどう思っているのだろう?「……デリケートな問題ですね……」と張さん。「けれど、両国に起きている本当のことを伝えて、自分なりの力を尽くしたいと思います。今、日本語を勉強する者として、その責任を感じています」と静かに答えてくれた。
日本語を学び、留学先が沖縄、ということで、張さんの胸には、時には複雑な思いが沸くこともあるだろう。正直いって私は、質問をしても、「答えられません」という返事になるのでは、という予想もしていた。けれど、未来にむけて、張さんがこんな言葉を率直に語ってくれたことに、私は心打たれた。おっとりと穏やかな外見の張さんが、その瞬間、胸に志を秘めた、頼もしい「架け橋」に見えた。沖縄の人と自然の美しさを胸に刻む、彼ならではの未来の活躍を期待したい。
【取材を終えて】
ひとことで日本といっても広く、さまざまな暮らしがある。こんな当たり前のことを張さんと話していて思い出した。私たち日本人でも足を延ばす機会がなかなかない離島に張さんが行き、海と人の暮らしに感動してくれたことが、と ても嬉しい。穏やかで礼儀正しく、コミュニケーション能力の高い張さんの訪問は、また島の人たちにとっても楽しいものだったに違いない。科学技術や伝統芸 能など、日本を理解する際によく着目される領域のみでなく、地方の自然と生活を知る、個性的な日中交流の担い手だ。 【取材、文:原口純子 編集:ワンジー 取材日:2013年3月20日】