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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.019 黄 天文さん

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名前
黄 天文こう てんぶん さん

プロフィール
  吉林省長春市出身。高校2年生のときに『心連心』第一期生(2006年8月~2007年7月)として、宮城県の仙台育英学園秀光中等教育学校に留学。宮崎県えびの市の日章学園九州国際高等学校での留学を経て、大阪工業大学工学部機械工学科で学び、2014年3月に卒業。4月には村田精工株式会社に入社予定。(※取材時)

日本のモノづくりの現場へ、いざ!


  約束の時間の5分前に到着すると、黄天文さんはすでに待ち合わせの場所に立っていた。
  驚いている私に、黄さんは当然だと言った。
  「私が待つのはいいけれど、相手は待たせたくないんです。」
  初対面の数秒で、彼の実直な人柄に触れた瞬間だった。
  「心連心」で宮城県仙台市に留学後、一旦は中国に帰国したものの、
  日本での留学を続けたいと考えていた黄さん。
  宮崎県えびの市の高校に再び留学し、その1年後には大学進学のため大阪へ。
  そして今年4月、東大阪市に本社を置く機械メーカーへの就職が決まっている。
  黄さんに話を聞くことができたのは、3月の半ば。
  新社会人としてのスタートを切る直前のことだった。


会社創立以来初の外国人社員に


  ――卒業、そして就職おめでとうございます。
    日本での生活は、今年で7年目になるんですね。

  そうですね。ずっと中国には帰っていなかったので、
  先日、6年ぶりに帰省してきました。
  家族には毎週日曜に電話するようにしているのですが、
  今回やっと、直接会って就職の報告ができました。


  ――中国での就職は考えなかったのですか。

  僕は昔から手を動かすのが好きで、ものづくりの仕事に興味がありました。
  大学でも機械工学科を専攻し、日本の技術力の高さを実感してきたので、
  日本の会社で働くことを目標にしていたんです。


  ――就職先は、どんな会社ですか?

  パーツフィーダをはじめ、ロボットシステムや加工組立機、
  画像検査装置など、幅広い分野の装置を手がける会社です。
  高精度な機械の開発から出荷まで、
  一貫してものづくりに関われるのが魅力でした。
  設計や製造、組み立て等いろいろ任せてもらえるポジションなので、
  とてもやりがいのある仕事だと思います。
  僕は、この会社で初めての外国人採用になるそうですよ。


  ――そうなんですか!

  語学力と技術習得への前向きな姿勢が評価してもらったのだと思います。
  技術職採用の僕と、あともう一人、営業職で入社予定だそうです。
  期待に応えられるよう、頑張りたいです。


自分を成長させてくれた第二の故郷


  ――日本との最初の出会いは何だったのですか。

  親の勧めで、中学1年のときに日本語の勉強を始め、
  その流れで日本語クラスのある高校に進学しました。
  だから、日本の何かに興味があってというような、
  日本語を学ぶ理由が特にありませんでした。
  僕は「心連心」で留学して初めて日本を知り、惹かれていったのだと思う。
  正直、高校生の頃は勉強ができるほうではありませんでした。
  「心連心」の面接でも、質問の日本語がほとんど聞き取れなくて、
  自分は4年間何をしていたのかと、
  とても恥ずかしくなったのを覚えています。


  ――では、どうして第1期生に選ばれたと思いますか。

  多分、僕が積極的な性格だからかなあ。
  いつも前向きで、新しい環境でも早くなじめるよう努力しています。
  仙台の高校に留学したばかりの頃は、
  授業で習った、日本人との会話方法を実践していました。
  まず天気のことから会話を切り出す、という方法です。
  クラスメイトやホームステイ先の家族に、よく天気の話をしましたよ(笑)。
  それで、少しずつコミュニケーションが取れるようになっていったんです。


  ――ホームシックにはなりませんでしたか。

写真を拡大「心連心」留学を終えて仙台を離れる日、同級生が駅まで見送りに来てくれた。

  ならなかったですね。辛いと感じることもなかった。
  留学中は、机の上の勉強では得られないことをたくさん経験しました。
  日本の授業は、自由で活発な雰囲気があります。
  様々な課外活動や交流会を通じて、
  学校の外の日本社会や文化を知ったんです。
  短期でホームステイした家族とは今でも交流が続いているし、
  大阪にいる当時の同級生とも、時々飲みに行ったりしています。
  2月、「心連心」第8期生の中間研修が大阪で行われたので、
  僕も先輩として出席して、いろいろアドバイスをしました。
  後輩たちを見ていて、何も知らなかった昔の自分を思い出しましたね。
  僕を自立させてくれた仙台は、第二の故郷だと思っています。


まだまだ日本で経験を重ねたい


  ――今ではすっかり大阪になじんでいるようですね。
    黄さんの話の端々に、関西弁が混じっています(笑)

写真を拡大和歌山県の千畳敷を友人と旅行。カメラが趣味だが自分が撮られるのは苦手という黄さんの、旅先での貴重な1枚。

  ははは、やっぱり言葉はうつりますね。
  大阪は自分らしく居られる場所ですよ。とても住み心地が良い!
  昔、日本のテレビ番組で「鳥人間コンテスト」という番組を観たんです。
  その年の優勝校が大阪工業大学だったので、
  機械を学ぶにはとても良い環境なんだろうなあと思いました。
  それで大阪での進学を決めたのですが、来て本当によかったです。

  ――「鳥人間コンテスト」は、人力飛行機の大会ですね。
    大学では黄さんも飛行機の研究を?

写真を拡大黄さんが開発に携わった「ソーラーコンバートEV」。大阪モーターショーの会場にて。

  僕は自動車工学の研究室で、電気自動車の開発に携わりました。
  研究室では代々、既存のガソリン車を改造して、
  電気モーターで動く「ソーラーコンバートEV」という車を作っています。
  実際に車道で走らせながら、性能試験を重ねました。
  昨年末には、大阪モーターショーでこの車を披露できたんですよ。

  ――そんな大学生活での貴重な体験を経て、いよいよ社会人ですね。

  日本の企業で技術職として働く夢がかないました。
  これからは早く仕事を覚えて、一人前のエンジニアになりたいです。
  自分で設計から手がけた機械が出来上がるのを、早く見届けたい!
  両親は、僕が日本で働くことについて、
  「やりたいことをやりなさい」と背中を押してくれました。
  マイペースに自分らしく、人生を楽しんでいきたいです。


  【取材後記】
  プライベートでは日本各地を旅し、全国制覇まであと少しという黄さん。
  昨年末にはダイビングのライセンスを取得したそうで、
  今すぐにでも沖縄に行きたい!とウズウズしていました。
  日本社会での就職に対する不安は、微塵も感じられません。
  「自分は自分」と語る黄さんはきっと、どんな困難も、
  その前向きさで乗り越えていくのでしょう。
  《2014年3月18日 取材  一宮千夏》

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