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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.028 呉 湖帆影さん

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名前
呉 湖帆影 ご        こほえい さん

プロフィール
  1991年生まれ、上海市出身。上海市甘泉外国語中学校に入学後、高校2年生のときに心連心プログラムの第二期生(2007年9月~2008年8月)として広島県福山市にある英数学館高等学校に留学。2014年に北京市の北京第二外国語学院を卒業後、同年上海市の日系企業に就職。15年1月に退職し、3月からは東京での再就職が決まっている。(※取材時)

人一倍強い向上心


  呉さんを取材したのは中国の春節(旧正月)を目前に控えた2月。上海市内のカフェに現れたのは、1990年代生まれを指す中国語「90後」らしい出で立ちの可愛らしい女性だった。

  「留学時代は茶道部に入部し、今では抹茶が大好き」と言って注文した抹茶ラテを飲みながら、留学時の想い出や今後の目標について語ってくれたが、その話しぶりからはしっかりと落ち着いた印象ながらも、強い好奇心と向上心がうかがえる。

3月から東京で再出発


  呉さんは1月末で大学卒業と同時に就職した日系の大手メーカーを退職し、3月から東京の人材派遣会社に再就職が決まっているという。

  「大学卒業後は日本語力を生かしたいという思いで、上海市にある日系の大手メーカーに通訳として就職しました。語学力を生かすという意味では、通訳の仕事は非常にやりがいのある仕事です。入社当初は日本留学の経験を生かせる絶好のチャンスだと思いました。ただ、日本に行ってまたさまざまな経験を積みたいという気持ちが募っていたとき、偶然にも東京での就職の機会を得ました」と退職の経緯を説明してくれた。

  中国人の中で転職することは、決して珍しいことではない。中国メディアによると、卒業後3年以内に転職する割合は卒業生全体の約7割を占めており、働きながら大学の教育コースなどで資格を取るなど、キャリアアップを目指す人も少なくないからだ。

  呉さんも例外ではない。前職の大手メーカーでの仕事は安定していたが、専門性の高い通訳という仕事をする中で、狭い領域にとらわれず、広範囲のことを学びたいという気持ちが日に日に増したという。

  「日本では今でこそ少なくなったものの、終身雇用も珍しいことではないですよね。だから日系企業に就職しながら約7カ月間という短い期間で仕事を辞めるのは、正直恥ずかしい気持ちもありました。ただ今は期待感の方が大きいです」と新生活への抱負を語る。

日中をつなぐ架け橋に


  そもそも呉さんが最初に通訳を目指したきっかけは何だったのだろうか。

  「やはり心連心プログラムで留学した1年間の影響が大きいのではないでしょうか。日本語力を生かすという意味では通訳を目指すのは自然の成り行きとも言えます。ただ私の場合、留学を通し、言語・文化・風習などがまるで違う日本人と中国人の考えや思いをつなぐという仕事に強い興味を持ちました」(呉さん)

  呉さんと日本語の出会いは、地元の有名な語学学校である上海市甘泉外国語中学校に入学したとき。日本語の勉強を始めたのは両親から勧められたことがきっかけだったが、もともと好奇心が旺盛で、人と話をするのが大好き。だから「今考えてみると、中学から日本語を専攻したことや、留学を選んだことは正しい選択でした」と振り返る。

  学校で日本への理解を深めるにつれ「日本に行って勉強したい」と切望するようになる。心連心プログラムの第二期生として留学の機会を得て、2007年9月に留学先の広島県へと降り立った。

写真を拡大ホームステイ先の家族と広島県内の観光地で

  「日本留学で身についたのは日本語力だけではなく、日本人特有の自主性や協調性ですね。留学前には東京や大阪への旅行の経験もありましたから、ホームステイ先のお宅で困ったことは少なかったです。ただご存じの通り、中国は競争の激しい社会ですから…いい大学、いい就職先を見つけるために学生は勉強への努力を惜しみません。だから最初は日本の子どもが自然に家事を手伝うことや、勉強だけではなく部活動に励む姿には衝撃すら感じました」と当時の心境を素直に語る。

  16歳という多感な時期の留学は、周りからの手厚いフォローなしでは難しかっただろう。実際に日本留学を終えて既に7年近くが経過するが、今でも素朴で温かみのある広島の人々の姿が脳裏をよぎる。

  「留学当時まだあまり日本語が話せなかった私に対し、常に優しく接してくれた広島でお世話になった皆さんには、今でも深く感謝しています。学校では唯一の外国人の学生なので皆が気にかけてくれましたし、担任の先生や校長先生、国際交流基金の担当者、ホームステイ先の家族――慣れない日本の生活の中で約1年間の留学を無事に終えられたのは、周りの方のサポートによるところが一番大きいです」。

写真を拡大日本の親友とは今でも頻繁に連絡を取る仲だ

  だから留学から戻った後の大学の進学では、「将来は日本と中国を結ぶ架け橋となれるよう」と新たな決意の下、北京第二外国語大学の日本語の同時通訳コースを専攻。日本語能力試験1級のほか、現在は日本語の通訳・翻訳ともに資格を取得した。

大きな転機


写真を拡大心連心プログラムの歓送会ではホームステイ先の家族、クラスメートも見送りにきてくれた

  通訳として安定した就職先を見つけた中で、東京行きは呉さんにとっては大きな転機となる。「日本の大学に進学すればよかったかな…」と大学の進学先について今でも時々考えるからなおさらだ。そんな思いで3月から始める東京での仕事について呉さんはどう感じているのだろう。

  「東京での新生活は、期間が設けられていた広島での留学とは違います。周りにフォローしてくれる人もいなければ、学生と社会人では『責任』という大きな違いがありますよね。日本の仕事のリズムについていけるのか不安もありますが、日本で学ぶべきことは山ほどあります。自分の限界に挑戦することだけを考えていますが、これも全て心連心プログラムでの1年の留学経験があったから。心連心プログラムで留学していなければ、日本をもっと知りたい、日本で学びたいというような強い志は持てなかったでしょう」。

  3月から勤める会社は、東京都品川区にある人材派遣会社。従業員数が約50人と、前職に比べれば小さな会社だが、今後は通訳に加え、新たに人事と翻訳の仕事に携わる予定だ。

  「仕事を通じて能力を高め、将来は個人で日本と中国をつなぐビジネスを立ち上げたい」と「90後」らしい起業に向けた将来の青写真も描く。「東京で楽しみたいことは買い物」と若い女性らしい一面も垣間見せる呉さん。希望を胸に3月から新たな再スタートを切る。

  【取材を終えて】
  取材をする中で、呉さんの姿にかつて翻訳家を目指した自分自身を重ね合わせました。東京で生活するに当たっては留学のときとは違った苦労も出てくると思います。「日本と中国を結ぶ架け橋になりたい」という強い志を持って、たくましく成長してゆく呉さんの今後の活躍に期待しています。(取材・文:西見恵(NNA) 取材日:2015年2月6日)

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