参加者インタビュー
名前
馬 天彤( ま てん とう) さん
プロフィール
1991年生まれ。吉林省長春市出身。長春日章学園高校在学中に、「心連心:中国高校生長期招へい事業」3期生として仙台育英学園高等学校、希望が丘学園鳳凰高等学校へ留学。2012年に香川大学工学部入学。今春卒業し、4月からは岡山の建設コンサルタント企業で社会人としてスタートを切る。
やっぱり岡山が好き
十日後に卒業式をひかえた馬天彤さんに会ったのは、岡山駅の近くだった。馬さんは香川大学工学部土木学科の学生だ。近ごろ注目を集め始めた“ドボジョ(土木系女子)”である。てっきり香川県に住んでいると思いきや、2年生からは岡山駅から電車通学をしていた。瀬戸大橋を走るJR快速を使えば、大学のある高松まで40分。バスに乗り継ぎ、片道1時間半の通学だ。
「工学部は実験なども多くて忙しいので大学のそばに住む学生が多いんです。1年の時は高松に住んでいたんですが、岡山が大好きなので引っ越しました。1コマ目の授業に出る時は5時半起きでつらかったです」
それでも岡山がいい。だから、就職先も大好きな岡山に本社のある企業にした。
岡山に惹かれるのはどうして?
「大都市はちょっと苦手なんです。岡山は大都市でもなく田舎でもなく、ちょうどいい。とても生活しやすいところです。気候も温暖で、雨も少ない。『晴れの国』って言われているんですよね。災害も少ないです。高校時代に住んだ鹿児島の人ほど熱くはないけれど、岡山の人たちは優しくて、外国人も受け入れてくれます。会った人は優しい人ばっかりでした」
土木学科で初めての外国人学生
馬さんは「心連心」3期生。前半は仙台、後半は鹿児島の高校で過ごした。
「楽しい思い出しかありません」
部活は仙台では書道部、鹿児島では家庭、茶道、書道、馬術部とかけもちした。困ったことはなかったのと尋ねると、「仙台でホームステイ先がなかなか見つからなかったことくらい」。しかしそれも、仲の良い同級生にアタックして、自力で解決した。清楚でやわらかな物腰の馬さんだが、「自分から積極的にやることが大事ですから」ときっぱり。
初めての挫折は、大学受験。別の国立大学の工学部を受験したが、不合格だった。ショックを受けたが、自分の努力が足りなかったと反省。岡山の専門学校で1年間受験勉強に励み、日本語のブラッシュアップと数学に力を注いだ(この1年間が岡山を大好きになるきっかけを作った)。そして4年前、香川大学を受験した。面接では教官との問答だけでなく、数学2問と物理3問の問題を出され、黒板に解答を書いたという。
馬さんは、同大土木学科で初めての外国人学生となった。日本語が理解できるだけでは専門の勉強にはついていけない。理系なら尚更だ。数学と物理の板書試験は基礎学力をはかるものだったのだ。
見えにくい、だからこそのやりがい
最近でこそ、土木分野の学問を学んだり、土木業界で働く女性たちを指す“ドボジョ”という言葉も、認知されるようになってきた。とはいえ圧倒的に男性優位の世界だ。ドボジョは絶対数が少ない。そもそも馬さんが専攻したわけは?
「理系に進むことは早くから決めていて、最初は建築デザインに興味を持っていました。でも建築の事を勉強するうちに、私は土のほうに興味があると気づいたんです。土木は地盤を調べ、基礎を造っていきます。基礎がきちんとしていなければ、いくらきれいで立派な建物を作っても仕方がありません。土木の仕事は建築と違って、見えにくい仕事です。でもだからこそ、やりがいがあると思いました」
土木学科59人のうち女子は13人と、意外と多い。なんでも、東日本大震災を機に、さらに注目されるようになったのだという。人材も不足しており、人気の高まっている業界だそうだ。
卒論テーマは、「奥松島のボーリング・コアの工学的性質」。宮城県・松島でのボーリング調査に参加した。
「奥松島ができたのは巨大地すべりによるものという説のもと…。奥松島の土はやわらかく、通常のやり方ではデータの抽出ができなくて、何度も実験を繰り返して、ようやくデータを抽出することができました」
門外漢の筆者にも理解できるようにと、馬さんは丁寧に言葉を重ねて説明をしてくれる。
卒論準備と並行して就職活動もスタート。岡山の土木業界で働くことを念頭に企業を選び、4社受け、2社内定を得た。
「親しみやすい雰囲気だった会社を選びました。技術職にも女性の先輩もいるそうで心強いです」
人の命を守る仕事
業種は、建設コンサルタント。主に住宅の地盤調査や改良などを行っているが、今後は道路や橋などの地盤にも業務内容を拡大していくそうだ。
「この会社は、住宅地盤の仕事をとても大切にしています。ライフライン建設ほどには高い技術はあまり必要ないです。でも、地震の多い日本では、住宅の地盤に関わることは一人ひとりの命を守ることにつながる仕事です。そうしたところから社会人としてスタートできることはとてもいいことだと思っています」
2年生から岡山で暮らすようになって、近くのスーパーマーケットで週3回アルバイトをしてきた。3年間同じ職場で働き、同僚の主婦や高校生とも仲良くやってきた。奇妙な客に戸惑っている時は肩を優しくたたいて、「気にしなくていいよ」「そういう人もいるよ」と声をかけられ、励まされたこともあった。だから、就職が決まった時にはことのほか喜んでくれたという。
「お花やコップ、手作りのお菓子などをもらいました。手作りのお菓子はふだんから、しょっちゅうもらってました。お母さんみたい? そうですね、(同僚は)お母さんやおばあちゃん、妹のような感じですね」
高等の専門的応用能力を備えた「技術士」という国家資格がある。働き始めたらまずは、技術士を補佐する「技術士補」の資格を取得するのが目標だ。経験を積んだら、技術士を目指すことになる。技術士試験の難易度は高いようだが、馬さんはこれまでと同様に努力を重ねていくだろう。困難や障害はあって当然。どう乗り越えるかを考えて一歩一歩進んできたのだから。
「どんなにつらくてもあきらめません。とにかくあきらめない。ダメだと思っても頑張っていたら希望があると信じています」
【取材を終えて】
取材の合間に、卒業生インタビューNo.37で登場した周嘉鏐さんの名が馬さんの口から飛び出した。インタビューを読んだそうで、「周さんも自分の好きな道に進んだんですね。自分のやりたいことをやるのが一番。やる気も出ますから」と、嬉しそうだった。
互いに社会人となり、忙しくもなる。顔をあわせるのは先の話になりそうだが、同期生が夢に向かって同じ日本で頑張っている。そう思える存在がいることも歩を進めていく大きな力になるのだと思った。大好きな岡山の地で“ドボジョ”としての地盤をしっかり築いていってほしい。
(取材・文:須藤みか 取材日:2016年3月15日)