参加者インタビュー
Interviewインタビュー
日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました
Vol.41
10年目の関東圏「同窓会」
2016年4月、国際交流基金本部(東京)のレセプション会場に、続々と若者たちが集まってきた。「久しぶり!」「元気だった?」などという会話に、日本語と中国語が混じり、時折、キャーッと再会の歓声があがる。抱き合っている子もいれば、手を握り合い、ピョンピョンと飛び跳ねる子たちもいる。
再会
今日は、「心連心:中国高校生長期招へい事業」(以下、「心連心」)の関東圏卒業生交流会の日だ。7月に開催される日中交流センター10周年記念「大同窓会」を前に、関東圏在住の1期生から8期生たちプログラム卒業生約50名が集まった。卒業生たちの大規模な同窓会は、実に4年ぶりとなる。
心連心事業の始まりは、日中交流センターの開設と同じ2006年。これまで尖閣諸島問題、反日デモ、東日本大震災など、けして平坦な道のりではなかった。それでも毎年、途切れることなく、中国からの留学生を日本全国の高校に送り出してきた。今では、受入実績のない都道府県は、鳥取、徳島、山梨の3県を残すのみとなっている。
11カ月の留学を終えた中国人高校生たちは、帰国後、再び日本で、進学したり就職したりする者が少なくない。8期生までの卒業生は267人、このうちおよそ半数が日本で暮らしている。さらに関東在住者は約80人にのぼる。
日中交流センター事務局長の堀俊雄氏は「今回、かなりの人数が日本に戻り、がんばっていることが分かって、非常に良かったです」と語る。当初、「交流会には30人ほど集まれば……」などと話していたそうだが、予想以上の参加者で準備に追われる職員はうれしい悲鳴を上げていた。
それぞれの今
会場では、留学した地域ごとに、北は北海道・東北から南は九州・沖縄まで、6つのグループに分かれた。グループ内の卒業生たちは初対面も多いが、すぐに打ち解け、さっそく連絡先を交わしている。
代表挨拶をつとめたのは8期生の李伊頔(りいてき)さん。2013~2014年、岩手県盛岡中央高等学校に留学した。現在は早稲田大学商学部1年生だ。少し緊張した面持ちながら、メモも見ずに流暢な日本語で、留学中にできた友人の話や、心連心の仲間とのエピソードを披露する。最後は「いろいろ得たものはあったけれど、一番大切なものは人とのつながり」と締めくくった。
続く近況報告は、くじ引きで各期の代表を指名するというぶっつけ本番方式だ。当たった卒業生は照れたり、戸惑ったりしつつも、マイクを持つと、みな、堂々と話し始める。
1期生の張詩雨(ちょうしう)さんはコンサルティング会社勤務で、社会人2年目。今後の抱負について、「会社で経験を積み、日本と中国で貢献できる人になりたい」と語る。
千葉大学園芸学部に進学した5期生の陳微さんは植物の研究をしているそうだ。
「小さいころは勉強できないと、親に農家になれと言われていましたが、今は、立派な農家になれるよう、がんばっています」
冗談めかして話す語り口に、また会場が笑いに包まれた。
楽しい思い出に人とのつながり
日本に戻った卒業生の進学先は東京大学を筆頭に、早稲田大学や一橋大学など有名大学の名前が並ぶ。就職先もコンサルティング会社、IT企業、監査法人、広告代理店など大手企業ぞろいだ。それだけ見れば、バリバリのエリート揃いのようだが、高校留学中はみな、孤独やカルチャーギャップに悩んだ。
留学中のつらかった思い出について語ってもらうと、9月からの編入のため、クラスになかなか打ち解けることができなかったという声が、特に多かった。そんな中、4期生の黄哲(こうてつ)くんは、親切にしてもらった学校の先生から「話題が見つからなければ、こちらから質問したらいい」とアドバイスを受けたそうだ。
「それで一生懸命、質問を考えて、友達もできました。心連心に参加して本当によかったです」と破顔一笑。
3期生の林石子(りんせきし)さんは、「ポジティブな人間なので、今になっては全部楽しかった思い出」と言いつつも、「入部したダンス部で、親切にはしてもらったけれど、気を遣われすぎてなじめなかった」。それでも友達に相談したり、部活では足を引っ張らないよう練習に励み、最後は発表会にも出ることができた。
楽しかった思い出には、いずれも人とのつながりがある。8期生の劉佳源(りゅうかげん)さんにとって一番の思い出は、「帰国前、友達が『さようなら』ではなくて、『中国にいってらっしゃい』と言ってくれたこと」。
5期生の臧暁雪(ぞうぎょうせつ)さんは、ホストファミリーの小さなお孫さんたちが、言葉はわからなくても、妹のように接してくれたことで、楽しい留学生活を送ることができたと話す。
こうしてみな、それぞれの壁を乗り越え、今、ここにいるのである。
真面目+笑いのディスカッション
休憩をはさんだ後半は、心連心が人生に与えた影響をテーマに、グループディスカッションが行われた。
Aグループ代表、3期生の李康雨瀟(りこううしょう)君は「スラムダンク」のファンで、留学先ではバスケ部に入部した。ところが大会で優勝するほどの強豪校で、部活は予想以上に厳しかった。いわく「メンタルをやられた」。でもそれが、人生の中で大きな経験となったと話す。
他にも「いろんなことにチャレンジする勇気が持てた」(6期生・王凱易)、「他人のことを気遣えるようになった」(8期生・劉洪波)など、想いはいろいろだ。
参加者の立場から、心連心事業の改善点についても話し合われた。意外にも多かったのが、「留学期間を現在の11カ月間から、4月スタートの1年間半にしてほしい」という声。これは編入時になかなかなじめず、苦労した経験があるためだろう。会場の卒業生、8割ほどが賛同した。
また、「卒業生から直接アドバイスをもらえる機会がもっとほしい」、「卒業生も参加するSNSなどを活用して、留学前の準備や困難にぶつかったときの対処法など情報交換できる場がほしい」などの意見も出された。
もっとも、「真面目」一辺倒では終わらないのが、心連心の卒業生らしさである。
沖縄に留学した5期生の陳鍵君は、ホストファミリーや修学旅行について意見を述べたあとに一言。
「寮から幽霊が見えたので、事前に退治できるものを準備しておきたかった」
会場は爆笑の渦に巻き込まれた。そんな調子で、始終、和気あいあいと和やかな空気の中、あっという間に2時間半が過ぎた。
次の10年へ新たな一歩
交流会のあとは食事を囲んでの懇親会となった。
今日の感想を聞いていると、「本当は楽しいこと言いたかった!」と、話す卒業生がいた。
心連心の改善点についてグループ代表で発表した4期生の李心雨さんだ。卒業生の経験をCDや本などで見せてほしいと意見したが、留学自体は楽しい思い出だ。現在は早稲田大学に進学中で、「毎日が、すごく楽しい!」と目を輝かせる。
「今、3年生なので、将来のことを考えていて、今日は先輩たちにいろいろ話を聞きたいです」
卒業生たちに囲まれていた日中交流センター元職員の山﨑氏は、就職したての20代のころ、2期生から4期生を担当した。今でも交流イベントなどを通じて、時々、顔を合わせる卒業生もいるが、2期生は9年ぶりの再会となったそうだ。
化粧をして大人っぽくなった女生徒の中には、すぐには誰かわからない子もいた。
「でも、だいたいどの子も見てすぐ分かりました。逆に私のほうが、生徒たちから太ったと言われてしまいました」
この10年で、あどけなかった高校生は、少しだけ大人になった。初来日の日、北京の空港で、大金の入った財布を無くして飛行機から降りたいと言っていた一期生の潘撼(はんかん)君は、すっかり落ち着いた青年となり、大手日系企業で技術者として働いている。
今年初めには、日中間で遠距離恋愛をしていた彼女と入籍したそうだ。近く、彼女が日本に来て、新婚生活をスタートする。
「中国にいた頃はジャージしかはいたことなかったけれど、留学中に高校の制服を体験して、スカートを穿けるようにもなった!」
そんな冗談で笑いを取った4期生の劉思妤(りゅうしよ)さんは、グレーのワンピースに身を包み、大人の雰囲気が漂う女性になった。
「心連心事業は今後も20年、30年と続いてゆくでしょう。20年目、30年目のこうした場が楽しみですね」と、事務局長の堀俊雄氏。
心連心はこの夏、次の10年へと新たな一歩を踏み出す。
【取材を終えて】
会場で、ふと、想像してみた。
今、目の前にいるこの元気な子たちが、40歳や50歳を過ぎるころのことを。
彼らは日本と中国の社会で、どんな大人になっているだろう。そのころもまだ、中国から高校生が期待に胸を膨らませて来日し、カルチャーギャップの現実に悩んでいるだろうか。あるいは日中関係はどうなっているか。
それがとても楽しい想像に思えるのは、ここにいる彼らの笑顔が、明るく力強いからかもしれない。そんなことを考えて、こちらまで気持が温まる気がした。
(取材・文:田中奈美 取材日:2016年4月16日)