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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.042 印琪 さん

写真を拡大大好きな本に囲まれて、図書館司書として充実した日々を送る印琪さん

名前
印琪いん  き さん

プロフィール
  1991年生まれ、河北省秦皇島市出身。秦皇島市実験中学に進学し、2年生のときに「心連心」プログラムの第3期生(2008年9月~09年7月)として京都府立北桑田高等学校に約1年留学。大学は吉林省吉林市の東北電力大学の日本語学科に入学し、15年7月に卒業。同月から、国際交流基金・北京日本文化センターの図書館に勤務している。

  長安街につながる北京一の目抜き通り、建国門街沿いにある北京日本文化センターの図書館で働く印琪さん。図書館入り口の脇にある本の貸出・返却窓口を訪ねると、はにかんだ笑顔で出迎えてくれた。

本を愛する癒し系乙女


写真を拡大留学時代に清水寺で。京都では日本の伝統文化や歴史についても理解を深めた

  印さんはビーチリゾートや避暑地として知られる中国北部の海沿いの街、北戴河で生まれ育った。近所づきあいが盛んな田舎町だそうで、「北京は人との距離が遠くて少しさみしいです」と語る。

  両親が共働きであったため、小学校の授業が終わると自宅から歩いて5分のところにある祖父母の家に向かい、両親の帰りを待った。印さんの祖父は国語(中国語)教師をしていたこともあってたくさんの本を所有しており、印さんは毎日、本を読んで過ごした。

「歴史や文化に関する本ばかり読んでいました。どれも難しくて小学生には理解できなかったけど、それでも面白くて。両親がいなくてさみしくても、本があればあっという間に時間が経つから、それで好きになったのかも知れません」とほほ笑む。

  特に唐の時代に関する本が好きだという。理由を聞くと「当時の思想がすごいなぁと思って。当時の女性はすごく自由だったんです。男性の服を着てもいいし、街に出かけて遊ぶことも許されていたんですよ」。一方、唐の時代から1000年ほど後の明や清の時代の女性については、中国の四文字熟語「成語」を引用して「大家閨秀大門不出,二門不邁」と表現した。日本語に訳すと「名門の令嬢は表門から外に出ず、二の門から足を踏み出すこともない」となり、良家の娘には家の外に出る自由すらなかったのだと教えてくれた。

  李白や杜甫を生んだ唐の時代に黄金期を迎えた「漢詩」も好きで、「人それぞれいろいろな解釈ができるところが魅力です」と語る。

  自己主張は決して強くないが、自分の考えや感性を大事にしている姿勢がうかがえる。「印さんは癒し系だね」と率直な印象を伝えると、「そうですか? 中国語では“治癒系”っていうんですよ」と、少し照れながらまた、教えてくれた。

留学先は「トトロの森」


写真を拡大帰国前に、ともに寮生活を送った友人と撮った記念写真

  日本への留学が決まったのは、外国語教育に重点を置く高等学校「秦皇島市実験中学」の1年生のときだった。「試験が終わった後に先生に呼ばれて、そしたらお母さんが学校まで来ていて、『うれしいお知らせがあるよ』って言われたのを覚えています」。

  成績が優秀であったため同級生400人のうちの上位30人だけが入れる日本語クラスの生徒となり、その中から同学年でたった1人の留学生に選ばれた。「日本のアニメが好きだったので、決まったときはすごくうれしかったです」と、また顔がほころぶ。

  留学先の京都府立北桑田高等学校(京都市右京区)の第一印象を聞くと、「周りには山がいっぱいあって田舎で、トトロの住む森のようだと思いました」。高校には普通科のほかに森林リサーチ科があり、「校内を案内してもらったときに、森林リサーチ科の生徒が手作りした木でできた教室や水車を見て感動しました」と話す。

  京都での思い出を聞くと「楽しかったことがいっぱいあるんです」と、寮生活の楽しみやマラソン大会の達成感、テニス部での先輩との交流など次々と話が飛び出した。その後、「でも、図書室で司書の山田先生と親友のねねちゃんと、3人でおしゃべりをする時間が一番好きでした」と続けた。

  同校の図書室は壁も床も机も全てが木でできていて、床に座って3人で本の話やアイドルグループの「嵐」のことなど、とりとめのないおしゃべりをしたことを懐かしそうに語る。さらに一番楽しかったのは、3人で図書館の掲示コーナーを作ったこと。ひな祭りなどのイベントや季節ごとに、本の紹介などをする張り紙を手作りしたそうだ。こういった留学時代の経験があってこそ、彼女は図書館司書という仕事を選んだのだろう。

  辛いことはなかったかと聞くと、「中国の両親を想ってさみしいときもあったけど、そんなときはクラスメイトがそばにいて、明るい話題で私を元気づけてくれました」ときっぱり。「優しくない日本人に今まで会ったことがありません」と言うが、それは彼女の純真無垢な性格が、周囲の人の心も柔らかくするからに違いない。

がんばれば、「未来は自然とついてくる」


写真を拡大3月に主催した交流会には多くの読書愛好家が集まった。「イベントをもっと増やしていきたい」と印さん。(写真は北京日本文化センター提供)

  高校時代の留学経験を糧にして、大学も日本語学科に進学。4年生のときに国際交流基金北京日本文化センターの求人を見つけ、就職を決めた。

「今の仕事に就けたことは本当にラッキーでした。好きな仕事ができて幸せです」と話す。来館者の多い土曜には平均約70人が訪れる同センターの図書館で、貸出と返却の管理、毎月1回の中国語の新刊図書の購入などを行っている。

  働き始めて9カ月目の今年3月、初めて読書交流会を開催した。四川外国語大学の教授を招いて、中国人がメインの一般参加者と日本人著者の本について自由に意見を語り合った。「大盛況で参加者から『もっと開催してほしい』という要望がたくさん来ました。今後もできる限り多くのイベントを開催したいです。本だけでなく、日本と中国の文化的な交流も含めて」と、夢が広がる。

  現在の仕事は3年間の契約だが、努力してもっと長く続けたいと語る。「仕事も恋愛も、例えばお金も、欲しいと思って得られるものではありません。自分の今の仕事をしっかりやることが大事で、一生懸命がんばれば、未来はきっと自然とついてきます」。

  口数こそ少ないものの、大事なことはきちんと言葉にして伝える印さん。これから日中両国のより多くの人に向けて、日本の本や文化の魅力、中国の歴史の面白さを伝えていってくれることだろう。

  【取材を終えて】
  清く優しく、礼儀正しい印琪さん。話していると癒される、小柄なタイプではないのに小動物のような女性だった。取材当日にカメラを持参するのを忘れてしまったので、「もう一度写真を撮りに来てもいい? 一緒にランチでもしましょう」とお願いすると、「ありがとうございます」という言葉が返ってきた。それはこちらのセリフなのに、と思いながら、「こちらこそありがとうございます」とお礼した。オフィスが近いので、これからもぜひ、ランチ仲間として仲良くしてもらいたいと思う。
(取材・文:天野友紀子 取材日:2016年4月15日)

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