参加者インタビュー
卒業生それぞれの歩む道
「心連心:中国高校生長期招へい事業」の留学期間は約1年間。折り返し地点となる2月初旬頃、半年間を振り返る「中間研修」を毎年行っている。日本留学の目的を再確認し、残りの半年を充実させるために目標設定を行うことが目的だ。研修ではグループワークや講義などのほか、かつて心連心プログラムで高校時代に日本留学をした卒業生の体験談を聞く機会も設けられている。
大阪・舞洲で行われていた第11期生の中間研修には3人の卒業生が駆けつけ、自身の留学体験やその後の進路について語った。第11期生の関心は高く、とりわけ進学については質問の手が多数挙がった。終了後は卒業生を取り囲み、質問が続いた。男子生徒の一人は「先輩を見ていると、見習う相手が出来て、自分の目標がもっと明確になった。先輩のおかげで、自分も日本で一人ではないのだという感覚を持った。しかし、単に見習うだけではなく、自分なりの留学生活の思い出を作っていきたいと思う」と感想を綴っている。他の第11期生も、先輩たちの姿に数年後の自分を重ね合わせていたに違いない。
それぞれの道を歩み始めている3人の卒業生。彼らが心連心から羽ばたいた「その後」について聞いた。
新たな価値を創り出す仕事を
江蘇省南京出身の第1期生、倪流沙さんは、建設機械の国内最大手コマツに勤務する。倪さんが心連心プログラムで留学したのは2006年から2007年まで。仙台の高校だった。いったん帰国して中国の高校を卒業すると、立命館アジア太平洋大学(APU)に進学。その後、思い出深き仙台の地にある東北大学大学院に進んだ。「東北大学は、魯迅が恩師の藤野先生と出会った場所です。僕も同じような経験をしました」と倪さん。大学院では開発経済学を専攻。博士課程に進むことも視野に入れていたが、指導教官の勧めもあって就職活動を始めた。
「常に動いているもの、変化の激しいものが好き」と自己分析する倪さん。実直で穏やかそうな風貌だが、胸には熱い思いを秘めている。
新たな価値を創り出す仕事をしたいと、証券業界に絞って活動したが、残念ながら希望はかなわなかった。落胆は大きかったはずだが、「僕は楽観的なんです。つらいことがあっても、それを逆に楽しみにかえています」と、きっぱり言う。苦労が糧になることを、これまでの経験を通し身をもって知っているからだろう。
証券業界を諦め、発想を変えてみようと思った時、現在の会社の企業活動を知る。世界中で自社の建設機械が稼働するグローバル企業の業態に親しみを感じ、就職を決めた。
目標を決め、努力を重ねる姿は後輩たちのまさにロールモデルだが、第1期生であることのプレッシャーは、いかばかりか。
「確かにプレッシャーはあります。自分は心連心に参加することができて素晴らしい体験をしましたが、参加できなかった人もいるわけです。だからこの経験をどう活かしていけばいいのか、ということをいつも考えています。日本と中国の関係や文化交流、また若者たちの中にある誤解をどう解くのかという課題…、いろいろなことに力を入れなければならないと思っています」 倪さんが所属するのは、海外営業部だ。遠からず海外勤務になるという。どこへ行っても、つらいことがあっても、これまでのように前向きにとらえ、すべてを糧としてほしい。
社会人を経験し、再び学び舎に
中間研修では軽妙なスピーチで場を和やかにした閻亜光さんは、山西省太原市出身の第2期生。第1期生の倪さんと同じく立命館アジア太平洋大学(APU)に進学した。同大は国際的に活躍できる人材の育成を目指しており、外国人留学生の比率も高い。「APUは意識を持ち続ければ、とても有意義な時間を送ることのできる大学です」と、閻さん。オープンキャンパスの運営・企画などに積極的に関わり、学生寮の寮長も務めた。
卒業後は日本の大手ホテルに就職した。2年目にはフロントマネージャーに昇進したものの退職し、2016年4月からは立命館大学大学院で言語心理学を学んでいる。
「最初の就職の時は有名な大企業に入りたいという思いが強かったんです。約2年働いたことは得難い経験でしたが、その先の自分が見えませんでした。もっと中身を充実させたい、学びたいという気持ちが強くなり、大学院進学を決めました。日本語も、関西弁も極めたいと思います(笑)」
人に教えることが好きで、個として力を発揮していきたいという気持ちから、将来的には教職の道に進むことを考えているという。中間研修会場でも、絶妙のタイミングで生徒に質問をしながら、話に引き込んでいた。その姿はまさに教師さながら。天職を見つけたようだ。
社内イノベーターを目指して
劉希さんは遼寧省瀋陽市出身の第4期生。この春、京都大学農学部を卒業し、東京大学大学院へ進学する。勉学だけでなく、アルバイトにサークル活動にと忙しく充実した4年間だったという。バイトは1年時にコンビニで働き、その後は塾講師をした。サークルでは自転車競技部のマネージャーを務め、自転車競技という新しい世界を知った。
「大学時代は農学部食料環境経済学科で、理系の学部でありながらどちらかというと文系寄りで経済学に近いことを学ぶ学科でした。大学院では文系に移り、経済学研究科です。今年から開設される社内イノベーターコースに進みます。社内イノベーターというのは、大企業において継続的にイノベーションを先導できる人材のことです。2年間のうち半年はインターンで就業体験をするというカリキュラムで、日本企業と外資系企業で働くことになっています。私は、企業の中で自分の力を発揮していきたいと考えています」と、静かに抱負を語る。
異なる文化や価値基準を持ちつつ、日本文化や社会を理解しようとする適応力もある。大学院で研鑽を積み、社内イノベーターとしてその資質を活かしていってほしい。
挫折は早いほうがいい
閻さんは第2期で、劉さんも第4期だ。第1期の倪さんほどではないにしろ、心連心プログラムでは草創期の卒業生だ。今の生徒たちとは違う苦労もあったのではないか。
「僕らの頃はまだ携帯電話は持たされていませんでしたから、寂しくなるとテレホンカードを握りしめ公衆電話に並んで、親に電話をかけたものです。でも、そういうことも含めて、人とコミュニケーションを深めるための話のネタになっていますよ(笑)。心連心の留学からもうすぐ10年が経ちます。あの1年があったから、今の僕がいる。すべてのスタート地点だと思います」
と、閻さんが言うと、劉さんもこう口にした。
「私はもともと心配性で、自信を持てませんでしたが、心連心での経験によって自信を持てるようになりました。日本人とのつきあい方にも自信が持てるようになり、自分から話しかけられるようになっていきました。他の人よりも豊かな時間を過ごせたという誇りを持てたからだと思います」
高校生で留学する意義は?と閻さんに問うと、すかさず答えが返ってきた。
「僕は、早く挫折ができてよかったと思いますよ。大学から留学する人よりも、高校生という時期に挫折を経験すれば、日本語はもっとうまくなるし、日本人ともうまくコミュニケーションがとれるようになりますからね。だから、第11期生には、目の前にあることから逃げないで頑張ってほしいと思います」
【取材を終えて】
多感な時期を異文化の中で過ごした経験を軸に、夢に向かって着実に歩を進める3人。彼らを見て、先輩に続きたいという後輩たちがいる。そんな後輩たちが自分の背中を見ていると思えば、先輩たちもまた頑張れる。心連心の絆が世代を超えてつながっていく。3人もこの日、気持ちを新たにしたのではないだろうか。
取材・文:須藤みか 取材日:2016年1月31日、2月1日