参加者インタビュー
北京市内のレストランに、現在は北京在住の「心連心」卒業生10人が集結した。大学で日本語学部に進み、日本と関わりのある仕事に就いた者もいれば、日本や日本語とは関係のない道に進んだ卒業生もいる。高校時代に日本へ留学した経験は、彼らのその後の人生にどんな影響を及ぼしているのだろうか。
嬉しい再会、弾む会話
2017年3月4日、「心連心:中国高校生長期招へい事業」(以下、「心連心プログラム」)の第2回目の卒業生交流会が北京市内で催された。心連心プログラムは昨年10周年を迎え、現在は第11期生が日本に留学中。この日は、第2期生から林暁慧さん、王琢くん、続昕宇さん、第3期生から印琪さん、第6期生から盧雨聡さん、米淳華さん、鄧稚雄くん、第7期生から王丹妮さん、奉煜坤くん、第10期生から劉雅軒さんの計10名が参加した。第2・3期生は既に社会人、第6・7期生は大学生、第10期生の劉さんは大学受験を控えているところだ。
続々とやってくる卒業生は、同期の仲間や先生(留学当時お世話になった日中交流センターの職員)との再会を喜ぶ。円卓を囲んでの食事会では皆、料理に手を伸ばすのが忘れがちになるくらい話が弾んでいた。
ふと、隣同士で座って親しげに話す男子2人組に気づいた。四川省成都市の同じ高校の出身で、1年違いで日本に留学した6期生の鄧稚雄(とう・ちゆう)くんと7期生の奉煜坤(ほう・いくこん)くんだ。高校生の頃は、お互いの名前しか知らなかったという2人。ともに北京の大学に進学した今も、「勉強が忙しく頻繁に会えるわけではない」が、同郷ならではの距離の近さが見て取れる。
「言語を超えるものを学んだ1年」
鄧くんはしゃべり方や仕草が日本の人気タレント・りゅうちぇるにそっくり。よく笑う、陽気な男の子だ。
心連心では長崎日本大学高等学校(長崎県諫早市)に留学し、現在は北京林業大学の自然保護管理学部で野生動物の研究をしている。大学では毎学期、山や自然保護区に出かけ、数週間に及ぶフィールドワークを行う。今学期はチベットまで調査に出かけるそうだ。 「小さな頃から動物が大好きで、一番好きな動物はキリンです。大学で研究しているユキヒョウにも興味があるし、あ、最近よくニュースになっているセンザンコウも。みんなに動物のこと、たくさん知って欲しいなぁ」と、動物の話が止まらない。小学校の頃は科学者、高校では建築家を夢見ていたという鄧くん。「大学院に進んで研究ができればと考えています。科学者という、小さな頃の夢が叶うかも知れない」と目を輝かせる。
日本や日本語とは全く関係のない方面に進んだ彼に、「留学の影響はあまりなかった?」と聞くと、「いえいえ、全然そんなことはないです」という答えが返ってきた。中学の日本語教師は「ツール」としての日本語を教えていて、鄧くんも同じ考え方で勉強していたという。「でも、心連心の留学では日本語を通じて、日本人の考え方や価値観、文化に触れることができました。言語を超えるものを、学ぶことができたと思っています」と力説する。「例えば先生への礼儀も学んだものの一つ。先生への態度とか、人の気持ちを思いやることとか、みんなで一緒に一つのことに取り組むこととか、中国では学べなかったことです。そういうことを学べたことが、日本語よりももっともっと、重要だったと思います」。 思わず顔が、ほころんでしまった。鄧くんが周囲の人に与えるポカポカした居心地の良さは、日本での経験もあって生まれたものなのだと思うと、嬉しくなった。
将来に向けて、可能性を広げる
同じ成都出身の奉くんは、岡山県新見市の岡山県共生高等学校に留学し、対外経済貿易大学の日本語学部に進学した。日本での生活について聞くと、「僕の留学先はすっごく田舎だった。田舎度だったらどこにも負けませんよ。で、暇だから何か部活をやらなきゃと思って、剣道を選びました」と、歯に衣着せぬ物言いで笑いを誘う。一瞬置いて、「もちろん、日本の文化を体験したいっていうのもありましたよ」と、ちゃっかりフォローを入れるところに愛嬌がある。
「共生は剣道の強豪校で、練習がとにかく、厳しくてキツくて。二度とやるもんかって思った」と言うが、今、大学でも剣道部に所属している。「なんていうか、当時が懐かしくなって、また始めました」とほほ笑んだ。
日本の友人とは、フェイスブックやLINEを通じて連絡を取っている。「日本にまた行きたいけど、まだ機会がなくて。お金がないけど、勉強が忙しいのでアルバイトをする暇はないです」と語る。聞けば、日本語の研究書を手掛ける出版社で実習生として働いているそうだ。「校閲をさせてもらっているけど、給料は出ません。周りはみんな大学院生で、僕はまだまだ…」と謙遜する。卒業後の夢について聞いてみると、「まだそこまで考えていないです。ただ、ダブル・ディグリー(2つの学位を取得する制度)で金融や会計を勉強しようと思っていて、大学院にも進学するつもりです」。できるだけ多くのものに触れて、自分の可能性を最大限広げたいのだろう。奉くんの未来を思うと、こちらまでワクワクした。
日本留学で得た、人生の「きっかけ」
食事会の席で誰よりも落ち着いていて、周囲に気を配る面倒見のいい卒業生がいた。2期生の林暁慧(りん・ぎょうけい)さんだ。遼寧省瀋陽の出身で、心連心では愛媛県松山市の松山南高等学校に留学。高校卒業後はアメリカのニューヨーク大学に進学した。
「中学の頃から、大学はアメリカに行くと決めていました。だから高校では、日本に行ってみてもいいかなって、両親と相談して留学を決めたんです」と林さん。日本滞在時も、アメリカの大学を受験するための勉強を続けていたという。「独学で?大変じゃなかった?」と聞くと、「日本の高校の先生にも教えてもらいましたよ。化学とか物理とか、教材は英語だったけど、日本語でこういう意味の問題だって説明して。松山からバスに乗って大阪や京都まで、TOEFLとか英語の試験を受けに行ったこともありました」と当時を振り返る。
努力の甲斐あって合格したニューヨーク大学では、メディア理論(メディア・文化・コミュニケーション)を専攻した。大学卒業後は、国際交流基金の北京日本文化センターで文化芸術事業の担当として3年間働いた。この4月からは慶應義塾大学の大学院に進学する。
「社会人として3年働いたら大学院に行く事も、人生設計で決めていた」。メディアデザイン研究学科で、アートにおけるコミュニケーションやデジタルメディアを研究するという。「今、報道機関が抱えている仕組みなどの問題を、デジタルの手法で改善できるかも知れないと感じています」と、力強いまなざしで語る。
とても賢く、たくましい。迷いのない人生計画の中で、日本留学はどんな意味を持っているのだろうか。聞いてみると、「日本には、たくさんのきっかけをもらいました」と口にした。「日本のアートも、留学を通じて興味を持ったものの一つです。それがきっかけで、ニューヨークでは日本の現代アートに関わるアルバイトをして、北京日本文化センターでの仕事にもつながりました」。同センターで、日本人アーティストによる展示やイベントの企画・運営などに携わってきた彼女。「現代アーティストによる多様な表現に惹かれます。作品は今、この時代のオルタナティブな歴史を記録しているもののようで。将来のために、大事に伝えていきたい」と語る。好きなアーティストをたずねると「仕事として関わっているので、個人的な趣味や好みは言えない立場」と前置きしつつ、「初めて会ってみたいと思って、仕事で本当にお会いできたのは映像アーティストのさわひらきさんでした」と教えてくれた。
「日本での1年は、大学の4年間よりも濃厚でした。若くて未熟で、自分と周囲との距離がまだ確立されていなかったから、柔軟に吸収できた部分があった。すべてが、今の自分に結びついています」と林さん。昨年の夏に松山のホストファミリーを訪ねたそうで、「お母さんとお好み焼きを食べたんですよ」と無邪気に笑う。日本の家族も、彼女の成長と活躍を誇りに思っていることだろう。
10年後の自分に宛てた手紙
交流会の席上で、林さんが同じ2期生の続昕宇(しょく・きんう)さんと盛り上がっていた話題がある。心連心での留学時代に、10年後の自分に宛てて書いた「手紙」だ。
日中交流センターの元職員で、2期生の引率とケアを担当した富樫史生さんが、生徒に提案してみんなで書いたのだという。「手紙は日中交流センターが保管してくれていて、10年後に見ることになっているんです。留学していたのは2007~08年だから、来年には見られるね!」と、2人とも待ち遠しそうに語る。
「何を書いたか全く覚えていない…。今の自分は、10年前の自分の期待に応えられているかな」。不安そうに話す林さんだが、高校生の彼女はきっと、前向きに歩んできた今の彼女に「やったね!」と言ってくれるに違いない。
【取材を終えて】
現在は第11期生が留学中の心連心プログラム、日本に渡航した学生の数は360人に達したそうだ。交流会に来ていた卒業生はみなとてもしっかりしていて、年下ながら終始、感心と尊敬のまなざしを注いでしまった。将来の夢や目標のために、またはそれを見つけるために、ポジティブに積極的に歩みを進めている。大学受験への不安を口にした10期生の劉雅軒(りゅう・がけん)さんに対して、先輩たちが声をそろえて「絶対大丈夫だよ」と励ます姿も印象的だった。心と心でつながる仲間を、これからもずっと大切にしていってほしい。
(取材・文:天野友紀子 取材日:2017年3月4日)