参加者インタビュー
Interviewインタビュー 日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました
一年間の成果を得て
7月19日、一年間の留学を終え無事八期生達が帰国の途に着いた。前日には国際交流基金本部で八期生の帰国前報告会が開かれ、一年間の成果を発表し、駆けつけたホストファミリーや先生との別れを最後まで惜しんだ。
感謝の気持ちと共に
7月18日金曜日、国際交流基金本部で第八期生帰国前報告会及びレセプションが開催された。八期生が在籍した高校の先生方やホストファミリーも駆けつけ、彼らの一年間の成果に聞き入った。
代表の言葉を述べたのは、立命館慶祥中学校・高等学校に留学した張天鴻くん。日記では北海道で彼が旅した風景や出会った人々が感受性豊かに綴られていて、思わず引き込まれてしまう内容だ。日記でも常に感謝の姿勢を忘れない張くんだったが、代表の言葉にも今までお世話になった人達への感謝の気持ちがあふれ、誠実な彼の人柄を伺わせた。
両親の元を初めて離れることによって、今まで当たり前だと思っていた事が当たり前でないことに気付き、周囲の人への感謝の念が生まれたと同じ様に多くの八期生が話している。
「一人でいるとつらい時も、周囲の人が助けてくれ、立ち直り元気になることができた」(張天鴻くん)
「血もつながらないホストファミリーが面倒を見てくれて、欠点があれば注意して優しくしてくれた。電話で中国の母とケンカした時には、ホストファミリーが”母の気持ち“を代弁してくれた」(崔舒淵さん)
「努力することの大切さを教えてくれたのはホストのお父さん。色んな事を教えてくれたお父さんのようになりたい」(張婷婷さん)
「ホストファミリーに叱られたこともあったけど、それはちゃんと言ってくれたということ。ほっておかないで言ってくれたのがうれしかった」(張倩如さん)
毎日のご飯やお弁当作り、病気になった時は看病してくれ、見守りながら日本について色々教えてくれたホストファミリー。親元にいた時には気付く事がなかったかもしれない日常のささやかな事に感謝の気持ちを持てるようになったのは、この留学を通して一歩大人に近づいた証でもあるだろう。
男子達の奮闘
留学ドキュメンタリーに登場した朱宇軒くんは、自身の成長のためにバスケットボール部に入部することを決めたと話してくれた。運動部に所属すると勉強時間や自由時間が限られてしまうと悩みながらも、文武両道に果敢に挑戦する姿を見せてくれた。八期生では、朱くんのように自分で目標を定めて積極的に活動した生徒達が、特に男の子達の中に目を引いたように思う。
大分県の岩田中学校・高等学校に留学した伏詩宣くんは、文化祭を運営する生徒会に憧れを覚え、先生に自ら生徒会に参加したい旨を伝え、特別に留学生ながら生徒会の一員として学校の様々な行事の運営に参加した。また2月には春節を皆で祝いたいと提案し、クラスメートや伏くんが所属するAPUコースの生徒達を巻き込んで、ゲームを通して中国の文化への理解を深めるパーティーを企画した。他にも自身が中国で通う高校との姉妹校としての提携を校長先生に提案し、その話も実際に進みつつあるというからその行動力と情熱には目を見張る思いだ。
「バンド活動から友人関係を広げたのは、前述の代表の言葉を述べた張天鴻くんだ。バンドのメンバーがギタリストを探しているとの話を聞きつけ、自ら手を挙げ参加した。中国でもバンドを組みギターを弾いていたそうだが、日本では2月にこのメンバー達とライブを経験し、スタジオで練習したりする中で友情を深めていったそうだ。
また仙台育英学園秀光中等教育学校に通った王若寒くんは、模型工作部に所属し、自分の好きな世界に存分に取り組み、仲間と生き生きとした毎日を送っている様子が印象的だった。好きなこと、興味のある分野から仲間を増やし、自分の気持ちに素直にのびのびと高校生活を楽しむ姿が好印象だった男子達だった。
友達がいたから全部いい思い出になった
一方、周囲とのコミュニケーションを大切にし、友人作りに力を入れていたのが女子達だ。最初の3ヶ月は言葉や環境に慣れるまで孤独感に悩まされることも多いと、歓迎会のスピーチで四期生の樊 雪妮さんが話したように、最初はうまく溶け込めず孤独を感じた八期生も多かったことが作文からも伺える。鹿児島県立武岡台高等学校に通った崔舒淵さんも、最初は自分から話しかけられず殻に閉じこもってしまい、友達作りに苦労する姿が報告されていた。
しかし中間研修で再会した八期生達が同じ様に奮闘する姿を目にして一念発起し、自分から周囲のクラスメートに積極的に話しかけるようになったことで、次第に友人関係が好転していった。留学ドキュメンタリーに取り上げた2人の女子生徒、蔡薀多さんと遅宇希さんは、どちらも友人関係がうまくいっていた例だ。蔡さんは「挨拶が大切」と語り、普段から何気ない言葉を交わす大切さを語り、遅さんは好奇心を持ち色々なことにチャレンジしていく中で友人関係を広げていた。また重要なのは張倩如さんが話していた「日本に来て自分の考えを主張するばかりではなくなった」ということ。どちらかというと、自己を主張するより周囲にあわせる風潮が強いと言われる日本人気質。それに合わせるのがベストかどうかは考えが分かれるとは思うが、周囲に気を配りつつ、つきあうことが日本の高校生活においての上手な人間関係を育むことにつながるようだ。
千葉市立稲毛高等学校に通った周潔鈺さんは、帰国前に寄せた作文の中で、来日直後の緊張から次第に解放され、素顔の自分できらきらとした高校生活を送る様子を描いていて心に残る。
「私は学校にいる最初の三ヶ月間、とても静かでした。恥ずかしくて自分からみんなに声をかけられないから、あんまり友達がいなかったです。そして、日本に来る前から、ちょっとしかできないかもしれないけど、中国人のイメージを変えないとダメ、と思いました。日本人のイメージの中では、中国人はとてもうるさいらしいので、最初は、学校で、上品キャラにしようかなと思いました。でもだんだんみんなと仲良くなって、キャラも変わりました。いっしょに授業についてツッコミしたり、授業が始まる30秒前にダッシュで移動したりしました。~中略~今思い返すと、友達がいるから、全部いい思い出になりました」
つらかったマラソン大会やテスト勉強、運動部の練習やホームシックになったこと。そんな時も友達がいたから全部いい思い出になった。友人との絆が得られたからこそ、全てがいい思い出になる。人と人とのつながりが得られてこそ、幸せな留学体験としていつまでも心に刻まれるのだ。
目に見える成果とともに、目には見えない大切な絆を幾つも抱えて帰国した八期生達。高校生という感受性豊かな時期に留学する意味の大きさを、改めて思い返させてくれた。
(文責:真崎直子)