Voice ~参加者の声~ 服部 恵美さん
自力本願の国際交流
名前
服部 恵美はっとり えみ さん
プロフィール
1995年東京都生まれ、明治神宮国際神道文化研究所に在職、小網神社権禰宜、2018年獨協大学法学部卒業、2019年國學院大学神道学部専攻科卒業
3度の不合格
この心連心を知るきっかけになったのは大学の国際交流センターの「大学生交流事業」のポスターでした。幼いころから日中の不仲をメディアで見ていたので、日中両国が手を取れる日が来るように微力ながらも貢献したいと漠然と思っていました。“猪突猛進”の私はすぐに友達に連絡を取り応募しました。しかし、結果は不合格。次こそは計画を練ってと思い再挑戦しましたがまたも不合格。気づけば大学4年生になり、就職活動や卒業も控えていましたので諦めていました。
そんなある時授業で1人の中国と日本のハーフの女の子に「ノートを見せて欲しい」と突然声をかけられたのです。当時私が大学で中国語を勉強していたこともあり、私たちは急接近しました。「いつか2人で中国に行きたいね。日本の良いところをたくさん知ってほしいね。」と話していた時ふとこの事業を思いました。大学で仲間を集めチーム「GOHKIS」を結成。実はこれも…不合格。もうさすがに中国とは縁がないな…と思っていた時でした。授業中に「貴陽に新しいふれあいの場ができることとなり、派遣先が一か所追加となったところ、追加採用をすることになりました。繰り上げ採用した場合行ってもらえますか。」というお電話をいただきました。まさに青天の霹靂。今でも当時の私の発狂した声は忘れません。もちろん二つ返事で承諾しました。
待ち望んだ日中交流
私は実家が神社ということもあり、幼少期から日本の伝統文化に触れていたので、この素晴らしさを是非多くの人に知ってほしい一心でした。そこで私たちが考えたのが「祈願祭天」。授業後に何度も会議を重ね企画を考案し、会計・広告・ポスター等誰が見てもわかるように、正確で見やすいデータを心掛け事前に準備できることは全てメンバー全員が納得いくまで行いました。様々なハプニングにも見舞われましたが、なんとか間に合い当日は400名を超えるお客様に御参加いただきました。
私が2年間待ち望んでいた光景が今自分の目の前に広がっていることにふと涙が零れました。そして貴陽の人のあたたかさ。学校の授業で疲れているはずなのにいろんな素敵なところに連れて行ってくれるのです。料理のおいしさは想像以上でした!私はその時思いました。人間は温かくして貰えると人・土地に愛着が湧き、またその人たちに恩返しをしたくなる。だからこそ、日本に帰国したら今度は中国のすばらしさを多くの人へ伝える努力をしようと思いました。
足跡から咲いていた花
帰国後まずは大学内で報告会をし、学生さんに事業を認知してもらうように努めました。その活動中に実家の巫女でもある大学の後輩たちが意欲的に立ち上がりなんとチームかんなぎガールズとして西安に派遣されたのです。さらに彼女らの渡航後、チームリーダーの伊藤有依子さんが自ら先導に立ち次の派遣メンバーにたくさんの助言をしていました。その時に「恵美先輩の自発的にできる姿に素敵だなと思って真似をしました!」と目をキラキラさせて話してくれました。日本国内でしかも自分の一番近いところで交流の輪が大きくなっていることにとても驚きました。現在私たちはSNSを通じて繫がった後輩たちにOGとして助言をしています。私たちが意識していることは“美談ではなく反省を話すこと”。この事業で一番反省をしたことはメンバーに対して完璧に見せようと思いすぎたことです。リーダーは完ぺきではダメなのです。「実はここで去年ミスしちゃったんだよね…」「私は全然そんなことできなかったよ!」と小さな言葉かけを心掛け、一人にはさせないように意識しています。
国際交流とは何か
この事業で学んだことは大きく2つあります。1つ目は多様性の尊重です。恥ずかしながら渡航前は、プライドが高くお互いに考えがどちらかに納得するまであえて話し合う性分でした。しかし、貴陽の方々は価値観を尊重し人との繋がりを非常に大事にして下さり、非常に居心地がよかったことを覚えています。2つ目は諦めず挑戦し続けたことです。何事も失敗するか、成功するかはやってみなければわかりません。私が無駄だと思ったことは一つもありませんでした。一生懸命な人には、必ず見ている人がいて、必ず助けてくれる人が生まれます。この2つは、現在海外の要人を受け入れる職場で働く上での大切な考え方になっています。相手の価値観を尊重し交流を図り、そこで見聞した正しいものを次世代に継承し続けること。これが真の国際交流ではないでしょうか。
明治神宮国際神道文化研究所
服部 恵美
2019年10月29日