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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.010 劉 暁倩さん

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名前
劉 暁倩りゅう ぎょうせい さん

プロフィール
  遼寧省瀋陽出身。高校2年の時、「心連心」第一期生として愛媛県松山南高校で一年を過ごす。中国へ戻り高校を卒業後、京都大学に入学し、2010年にはペンシルベニア大学へ交換留学生として一年留学する。現在京都大学工学部4年。来春から外資系コンサルティング会社に就職が決まっている。

お茶の文化を守りたい

写真を拡大宇治のお茶農家でお茶摘みを体験


  「茶の湯研究会」、「国際ビジネス研究会」、そして一年前に立ち上げたという「関西ライズ」というコミュニティ。これらが現在大学4年生の劉さんの所属する主な団体だ。このほかにも学生の就労支援を行うベンチャー企業でアルバイトをしている。

  様々な活動に精力的に取り組む劉さんの日常は、高校での心連心第1期生として留学していた当時から変わっていない。当時も茶道、華道、化学に地学、それから家庭科部と5つの部活をかけもちし、忙しい毎日を送っていた。その高校時代に出会った「茶道」から、後に大学で「茶の湯研究会」への入会へとつながり、またそこから「国際ビジネス研究会」へと活動が広がっている。

  「国際ビジネス研究会はお茶の文化を守りたいという気持ちから、茶の湯研究会の友人に誘われて入会しました。手間隙かけて育てたお茶の認知をどう広めていくか考えるなど、宇治のお茶農家の支援を行っています」

  中国人である劉さんが、外国人であるという壁を越えて日本の伝統文化である「茶道」やそれを支える農家のために活動しているという事実が新鮮な驚きでもあり、貴重な存在であると感じられた。これほど劉さんがお茶にまつわる日本の文化に魅せられている理由には、高校留学時の様々な出会いが大きく関わっている。

出会いに恵まれ日本が好きに


  劉さんが育ったのは中国東北地方。中国の名だたるお茶の産地である福建省や雲南省などの南部の地域ほどお茶の文化が身近な環境ではない。日本に来て茶道部に入部した当初は、決められた一つ一つの動作が面倒くさいと感じられたが、その根底に流れる精神を理解するにつれ魅力に取り付かれていった。当時、学校で自らお茶会を主催したことともあるそう。

  「茶道のおもてなしの心に感動して、私もお世話になった先生方に感謝の気持ちを伝えたいと思い、校長先生や教頭先生、仲良しだった家族を招いて、学校の茶室でお手前をしました」

写真を拡大今年の4月には賀茂川のほとりでお手前を披露

  劉さんいわく「お茶に関わる人は皆優しい」。茶道に流れるおもてなしの心、ホスピタリティが日常生活にまで浸透しているからではないかと、劉さんは話す。

  「高校時代、四国で大きな茶道の大会で、有名な家元のお手前をステージで見てなんて美しいんだろう、と感動しました。ルールにとらわれるのではなく、ゲストに心地よく過ごしてもらうための茶道なんです。ほんとの茶人は、振舞いがきれいで丁寧で素敵。私もいつかそうなりたいなと思っています」

  その大会で知り合った90歳を超える女性と気が合い、手紙とともにお茶の道具を一式贈られたこともある。お茶を通して様々な人たちとの良い出会いに恵まれたこともあり、大学は再び日本でと考えたようだ。

  「ホストファミリーや先生、お茶で出会った人たちなど人との関係にすごく恵まれたあの一年の経験は大きかったと思う。留学前には日中関係が悪化していて、色々言われていたけれど、実際来るとそういうことは何も関係がなくて、皆の心、人間としての心は同じだと感じました」

  高校留学を終える直前、クラスメートの前で劉さんは授業を企画し行った。そのテーマは「同一顆心」。国は違えど心は一つ、そんな劉さんの思いがこめられていた。

写真を拡大関西ライズのイベントでは司会を務めた

人の役に立てるのがうれしい


  社会貢献についてはアメリカ留学時にも体験している。貧しい地域の子供たちを支援するNPOでインターンとして働いた経験だ。寄付してくれる企業のリサーチやプロモーションの他、子供たち1人ひとりのプロフィールの分析も担当した。最初は打ち解けなかった子供たちが徐々に自分から積極的に声をかけるようになり、変わっていく姿に感動を覚えた。

  「将来教育に関わる仕事につきたいという気持ちもあります。他には社会に影響を与えるような仕事。そういう気持ちから、昨年大学の仲間3人と「関西ライズ」というコミュニティを立ち上げました。ソーシャルビジネスをやりたいという学生や社会人が、お互い交流して助けあえるような場を提供するのが目的です」

  これらの活動からはもちろん利益などが得られるわけではない。小さな頃から人の役にたつのが好きな性格だったと劉さんは振り返る。

  「小学生の頃は「少先隊」という、日本で言う生徒会のようなもののリーダーを務めていました。私の係は毎週の全校朝礼。何かいいことをした生徒を校旗を揚げる係に選んだり、クラスで演劇の稽古をする時に教室を貸すなど、そういう相談を先生としたり、お世話係みたいな感じでした」

  今に至るまで一貫して世話役や調整役などを引き受けてきた。自分が役に立てたと感じられるのが好き。そう劉さんはあくまで謙虚に話す。

写真を拡大三回生まで京大生協の留学生委員会の委員長を務め、留学生と日本人学生の様々な交流イベントを企画した

国と国との違いを越えて交流したい


  就職先は、若いうちから色々任せてくれそうな点に惹かれて外資系コンサルティング会社に決めた。今まで様々な活動に携わってきた劉さんだが、ビジネスの経験やスキルをさらに積んで、いつか自分自身で社会に貢献できるような起業にチャレンジしたいという気持ちも秘めている。

  「まだ学生なので、自分のなかでこれだと決まっているわけではないのですが、でも日本で働き続けるにせよ、いずれ中国に戻るにせよ、2つの国に関わる仕事についていたいと思っています。最近は中国も海外留学から戻ってきた人達が増え、NPOが出来始めるなど段々いい傾向になっているんですよ。善意だけで続けていくことは難しいので、効率的な運営方法だとかビジネス的なスキルを用いてサポートできるんじゃないかと思っています」

  一人ひとりの力は限られているが、皆で力を合わせるときっと社会に変革を起こせると信じている。誰もが自ら考え交流し、助け合って行動するそんな社会。それは常に行動を伴ってきた彼女の言葉だけに、きっと新しい風をおこしてくれるに違いないと私も心から信じられた。

【取材を終えて】
  取材当日は終日雨。インタビューが終わると、雨が降りしきるなかバス停まで見送りに来てくれたうえ、別れた後も駅まで行く路線があるか心配して戻ってきてくれた。茶道で培われた「おもてなしの心」が彼女の中にしっかりと根付いているのを感じ、私の心も温かくなった。(取材・文:真崎直子 編集:ワンジー 取材日:2013年6月20日)

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