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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.034 李 正政さん

写真を拡大インタビューに対応しようと、事前に伝えるべきことをノートにメモ。真摯な人柄がうかがえるきれいな文字で書かれていた。

名前
李 正政  り      せいせい さん

プロフィール
 &nbsp済南外国語学校日本語コース在学時の2006年、「心連心:中国高校生長期招へい事業」第一期生として、長崎日本大学高等学校へ留学。
 &nbsp帰国後に高校を卒業し、重慶大学に進学。大学3年時に東北大学へ留学するも東日本大震災のために中途で帰国。
 &nbsp大学卒業ののち、大連理工大学大学院修士課程を修了。
 &nbsp2015年4月から広島大学大学院国際協力研究科博士課程(教育文学専攻)に在籍。

  聞いてはいたが、広い。とにかく広い。向かうは、広島大学の東広島キャンパス。約250万㎡の敷地を囲むバス停が8つもある。

  「大学会館前というバス停でお会いしましょう」

  待ち合わせたバス停には、メールでのやりとりから想像していた通りの楚々とした女性が待っていた。心連心プログラム第一期生の李正政さん。2015年4月から広島大学大学院国際協力研究科博士課程(教育文学専攻)に在籍している。

「グレー」から鮮やかに


写真を拡大長崎日大高校のクラスメートと。クラスメートたちとは今も連絡をとりあう。

  李さんの日本留学は、今回で3度目。長くない期間とはいえ日本のあちこちで暮らしてきた経験は、並みの日本人より多いと言っていいだろう。

  最初の留学は、済南外国語学校在学時の2006年秋から翌年夏まで。当初、四国にある高校に留学したが、日本の一般家庭でのホームステイを希望して3か月後に受け入れ条件の合致した長崎日本大学高等学校に転校した。この転校を機にこれまで日本の学校になじめず「すべてがグレーに見えた」生活は、長崎で一気に鮮やかなものになったという。ホームステイ先は、教頭宅だった。

  「あたたかく迎えてもらい、日本の家族ができたようでした。お母さんは保育園の栄養士さんだったんですが、毎日お弁当を作ってくれました。それも毎日、違うメニューなんです。見た目もきれいで栄養バランスもよくて、学校の友だちにも『うらやましい』と言われていました。何を食べても美味しくて、たぶん今までで一番太った時期だったと思います(笑)。『ちょっと太ったからダイエットしなきゃ』と言ったら、今度はカロリーをコントロールしたお弁当や夕食を作ってくれました」

  学校でも、先生や級友たちの気遣いが嬉しかった。7か月間の学校生活ではあったが、思い出は?と問うと、李さんの口から次から次と行事やイベント、思い出深い場所の名が飛び出した。合唱コンクール、球技大会、大村市松本ツツジ公園、長崎ほたるスポット…。中国では経験したことがなく、自分にはできないかなと思ったダンス大会にも、級友たちのさりげなくも細やかなサポートのおかげで楽しく参加することができた。

  送別レセプションの日には、誰よりも早く登校し、最後に下校した。できるだけ「みんなと一緒にいたかったから」だ。

学んだことを人に伝えたい


写真を拡大震災を体験した、東北大留学時代。大学の研究室とはどういうものかを知った。短い間だったが、多くのことを学んだ。写真は、スキー合宿時のもの。

  帰国して高校を卒業すると、重慶大学日本語学科へ進学した。しっかり基礎から学び、「いちばん頑張って勉強した時間」だった。日本語だけの文化祭では、翻訳の面白さに目覚めた。2年時には、学生が教壇に立つ模擬授業を経験したことで進路も決めた。どこに重点を置くかを考えて丁寧に準備をしたことで、本番は滑らかに模擬授業を進められた。学んだことを人に伝える教師の仕事が好きだとも気づいた。指導教官の「あなたは先生に向いている」という言葉も李さんの背中を押した。

  3年時には東北大学留学のチャンスが巡ってきた。仙台に降り立ったのは、2010年9月。高校時代の「日本」を感じる留学とは違うと感じた。日本語教師という明確な目標を持ち、そのための学びの1年間のはずだった。しかし半年後、東日本大震災に遭う。

やむを得ない帰国


  「春休みでしたから、地震があったその時は寮の部屋でお昼ご飯を食べていました。ご飯を作る前に、中国の母とビデオカメラで『いつもと変わらないから大丈夫』と話したところでした。その3日前にも大きな地震があり、母がとても心配していたんです」

  寮の仲間たちと協力しながら6日間を過ごしたが食糧も尽き、山形へ避難。そこから新潟へ移動し、最終的に大阪へと。大学時代の日本人の恩師を頼った。売り切れが続いていた中国行きの航空チケットを入手し、家族のもとに戻れたのは3月も終わりに近づいていた。

  被災地のことが気がかかりでならなかった。4月下旬、大阪を経由して再び仙台に戻ったが、大学再開の目途はついていなかった。重慶大から帰国の指示が出て、やむなく帰途に就くことになる。

  避難中は東北大のロゴが入ったヘルメットをかぶっていたため、見知らぬ人たちから『頑張って』と声をかけられたこと。震災後の仙台に戻る夜行バスの中では乗客から、『こんな時なのに、日本人ではないあなたが仙台に行くなんてありがたい』と言われたこと。アルバイトで仕事を手伝った人の行方が心配で電話を何度もかけたが、つながらなかったこと…。

  震災時に体験したことをかみしめるように李さんは話した。

  「仙台を離れたくはなかったです。これから仙台がどうなっていくのかを自分の目で見たかったですし、私にできることがあれば(復興を)助けたいとも思っていました。でも家族はとても心配していて、無視することはできません。地震や津波は一瞬ですべてのものを奪います。家族や友人を大切にしたいと以前よりもずっと強く思うようになりました。そして、絶対にいつかまた日本に戻ってくるんだという強い気持ちを持って日本を離れました」

募る日本への思い


写真を拡大アルバイト仲間との歓迎会。アルバイトをするようになって、日本の学生たちの真面目さや一生懸命さも知った。

  大学を卒業すると、大連理工大学の修士課程へ。中国の大学で教鞭をとるためにも、海外で博士号を取りたかった。日本への思いは募ったが、震災後心労で倒れた母の気持ちを考えると言い出せなかったという。4年が経ち、母の「行っておいで」という言葉を受けて広島へやってきた。広島大学を選んだのは、修士時代の中国人恩師の持つ縁からだ。

  現在の生活は、週2回の教官との面談と週3回のアルバイトのほかは、寮で自身の研究に取り組むというもの。バイト先は、大学構内の生協食堂だ。掲示板の張り紙を見て、応募した。アルバイト仲間はみな日本人だ。

  「日本の学生がこんなにもアルバイトをしているとは知りませんでした。バイトをしないと生活していけない学生も少なくないんですね。なかにはアルバイトを2つも3つも掛け持ちしている人もいて、とても頑張っています」

  バイトの日は賄い飯が出るが、普段は自炊する。近くに広大の学生たちが多く利用するスーパーがある。割引が始まる19時以降が狙い目だという。

  「仙台にいたときよりも消費税が上がったので、大変です。日本の学生も同じように節約しています」

  自炊を続ける一番の理由は節約のためだが、料理は気分転換にもなり、気持ちがリラックスする。スマホに保存されている料理の写真を見せてもらったが、なかなか美味しそうだ。広島らしいおすすめの食材はあるかと尋ねると、「カープソースがいいですよ。お好み焼きのソースですが、野菜炒めでもなんでもあいます」と即、答えが返ってきた。

写真を拡大大学図書館の前で。「英語はみんなが学ぶ言語。他の人がやらないものにチャレンジしたいと、日本語コースを選んだのは中学生の時でした。まさかその時は博士課程まで行くとは思っていませんでした」

  四国から長崎、仙台、そして広島へ。中国国内でも済南、重慶、大連と進学するたびに学びの場が変わってきたが、日本語への探求心は変わらない。日本への思いも強くなっている。普段は研究室、生協、寮と、大学内で完結する暮らしだが、時間を見つけて日本一周もしたいという。李さんにはまだまだ行きたいところがたくさんあるのだ。

  広大の学生たちと交流するようになって、嬉しかったことがある。

  「想像していた以上に日本の学生たちが、本当の中国はどんな国なんだろうと関心を持っていることが分かりました。中国語で簡単なあいさつもしてくれますし、中国のこともよく質問されます」

  李さんが中国の大学の教壇に立った時、彼女が教え、伝えるのは日本語だけではないはずだ。日本のあちこちで食べた美味しいものをはじめとするその土地の風土や文化、日本で出会った人たち、そして東日本大震災での経験を通して知った「日本」の姿を伝えるのだと思う。

  【取材を終えて】
  楚々としているけれど、芯の強い人。3時間近く共に時間を過ごしながら、そう思った。震災のことは多くは語らなかったが、震災もまた彼女の強い芯を形作っているもののひとつだろう。
教壇に立つかたわら、翻訳にも挑戦したいという目標も持っている。訳したいのは小説ではないそうだが、果たしてどんな和書を選ぶのだろうか。
(取材・文:須藤みか 取材日:2015年7月22日)

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