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Voice ~参加者の声~ 中條 奈菜花さん
私の大学生活は日中交流なしでは語れない 〜日中の国境を越えた仲間との交流を通して〜
名前
中條 奈菜花ちゅうじょう ななか さん(岩手県立大学4年)
プロフィール
1993年生まれ、岩手県滝沢市出身、岩手県立大学総合政策学部(2012年4月〜2016年3月)で学ぶ。在学中は、国際交流サークルに所属し、留学生との交流をはじめ、国際交流関連のイベント企画など積極的に活動に参加した。また、ふれあいの場での活動などが評価され、学長奨励賞を受賞した。大学卒業後は、NHK函館放送局でキャスター・リポーターとして働く予定。
中国との出会い
私が中国に興味を持ったきっかけは、大学1年次、何気なく参加した国際交流セミナーでの中国人留学生との出会いである。中国人留学生が日本語を流暢に話している姿を見て、感心した。私もこの人と中国語で話してみたいと思った。
それから、大学で学ぶ第二言語は中国語を専攻し、大学2年次に北京の中国伝媒大学へ2週間短期留学をする機会を得た。現地で中国語を学んだり、中国人と交流したりしながら、私はすっかり中国の虜になっていた。
帰国し、中国への熱が収まらない日々を過ごしていた時、日中交流センターの「中国ふれあいの場大学生交流事業」の存在を大学の掲示板で知った。「また中国に行ける!」と、心を踊らせたことを今でも覚えている。
渡航までの5ヶ月間
審査に通り、準備が始まると予想外の忙しさだった。1から自分たちで企画を考えなければならなく、不安ばかりだった。私は、みんなと意見を共有する役割を担った。
カウンターパートとは連日SNSで連絡を取り合い、現地での広報や食材調達など多岐に渡って話し合いを重ねた。日中交流センターからは現実的なアドバイスをいただき、企画を練り直す日々が続いた。
大学にいる中国人留学生に向けてイベントのリハーサルを通して意見を聞くなどやれることは全てやった。この準備期間は、最も苦しい時期だったが、非常に大事な時期でもあった。
中国・重慶での5日間
いよいよ重慶での5日間が始まった。カウンターパートとは、会ってすぐに馴染めた。現地では、日本人6人に対し、22人のカウンターパートが迎え入れてくれた。中国人は好奇心旺盛で素直な性格の人ばかりで、日本のことを積極的に質問してきた。日本にこんなにも興味を持っているということに驚かされる毎日だった。
広報、買い出し、装飾、リハーサル、高校訪問など準備期間の3日間は、慌ただしくあっという間に過ぎていった。毎晩遅くまで話し合いや確認をして、イベント当日に備えた。そして迎えたイベント当日は、予想を遥かに越える200人以上の来場者を動員した。
日本の祭を中国で再現するべく、縁日ブースや和食ブースなど5つのブースを設置したが、どこのブースも長蛇の列となり、景品が足りなくなるほどの大盛況ぶりだった。イベントのフィナーレに参加者も含め会場の全員で踊った盛岡さんさ踊りでは、国境を越えた人と人との繋がりを体感した。
どのシーンを切り取っても、重慶での5日間は充実したものだった。真の交流とは、何かを協力して成し遂げる事で図られることを学んだ。大学の学生寮でそれぞれ中国人と2人部屋で過ごしたことも、本当にいい思い出となった。
帰国前、カウンターパートからもらった手紙の中で、今でも忘れられない言葉がある。「私の周りは日本人によくないイメージを持っているが、私は悔しい。なぜなら、出会った日本人は皆優しくていい人だから」という言葉だ。私は、この手紙を帰りの空港へ向かうバスの中で読み、涙が止まらなかった。私も中国人に対して同じことを感じたと同時に、自分が経験したことを周りの人へ発信していくという強い決意が芽生えた。
チャンス到来
私は本当に運が良かったと思う。なぜなら、「大学生交流事業リターンズ」として中国重慶ふれあいの場のカウンタパートを日本・岩手に招き、継続して交流活動ができることになったからだ。交流でできた繋がりを一度きりで終わらせたくないと考えていた私たちは喜び合った。継続性と波及性が重視される「リターンズ」事業では、新たな交流のためにメンバーを32人に増やした。新たなメンバーは、以前の大学生交流事業の報告会を見て、興味を持ってくれた後輩などである。
4ヶ月間、話し合いなど準備を進めた。人数が増えたこともあり、話し合いは難航したが、それぞれ役割を分けて進めることで、次第に作業のスピードはアップした。
日本・岩手での再会
まさかこんなにも早く重慶のみんなと再会できるなんて誰が思っただろう。リターンズでの5日間は、日本の祭を実際に体感、岩手の文化体験、日中交流イベント開催、被災地視察事業など盛りだくさんのプログラムだった。特に中国重慶でも踊ったさんさ踊りを、本場である岩手の祭で参加できたことには意義があったと思う。
日中交流イベントでは、岩手のテレビや新聞社から取材も受け、日中友好の発信ができたと感じている。自分が住む岩手にカウンターパートの皆がいることは不思議な感覚だった。夢のような5日間を通して、私たちの絆は深まり、新たな繋がりも生まれた。
カウンターパートが主催した日中交流イベントは、中国結や隈取りづくりや漢服体験、その他ゲームなど中国の文化を日本人にも体験してもらおうというものだった。岩手のマスコミ各社からも取材を受け、日中友好のために頑張っている若者がいるということを岩手の人々に発信できたと感じている。
私たちは、多くのプログラムを通して、3月の時よりもさらに密度の濃い時間を過ごした。両国ともに新たなメンバーが加わったことで、新たな繋がりも生まれた。
継続は力なり
事業を継続してきて明らかに変化したことがあった。それは、私の母の中国への関心である。私の母は中国に対し良くないイメージを持っていた。1度目の事業は中国での開催だったが、2度目は岩手での開催ということもあり、イベントに母を招待することができた。イベント後、母から中国人と交流が出来て楽しかったという声を聞いたとき、私はすごく嬉しかった。継続して行ってきたことで、私の熱意が身近な人に伝わったのだと思った。
2015年6月28日 中條 奈菜花