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JAPAN FOUNDATION 国際交流基金[心連心]

日本と中国の若者が未来を共に創る

参加者インタビュー

日中21世紀交流事業に参加された方々に交流を振り返っていただきました

Vol.048 張 亜新 さん

写真を拡大張さんのお気に入りの、吉祥寺駅近くのカフェにて。

名前
 張  亜新ちょう   あ  しん さん

プロフィール
  1993年生まれ。山東省済南市出身。済南外国語学校在学中に「心連心:中国高校生長期招へい事業」第四期生として、岩手県の盛岡中央高等学校に留学(2009年9月〜2010年7月)。帰国後、済南外国語学校を卒業したのち、2012年東京大学文科三類入学。2016年3月に同大学を卒業後、現在、子供服で有名なミキハウス(三起商行株式会社)に勤務。

今でも変わらぬ“吉祥寺愛”


写真を拡大思い出がいっぱい詰まった吉祥寺駅の改札。張さんがおちゃめなポーズをしてくれた。

  人で賑わう週末の吉祥寺駅。待ち合わせ場所に現れたのは、ニット帽をかぶった小柄なかわいらしい女性−−−それが張亜新さんだった。張さんは、「心連心:中国高校生長期招へい事業」第四期生で、現在、大阪で働いている。

  今回インタビューをするにあたり、「張さんらしい場所で」とリクエストしたところ、彼女が選んだのは「吉祥寺」だった。聞けば、大学入学から社会人1年目までの約4年半、ずっと吉祥寺暮らしだったと言う。今でも休みが取れると、時々吉祥寺に戻ってくるそうだ。
「長く住んでいた吉祥寺は、私にとって“地元”みたいなもの。外国人もほどよくいて、近くに井の頭公園もあって、緑と街のバランスがいいところが気に入っています」

  吉祥寺と言えば、「住みたい街ランキング」でいつも上位に入る人気の街。そんな街で暮らしていたことについて尋ねてみると、「誇らしいです」とにっこり。「吉祥寺から大学のキャンパスまで井の頭線1本。毎日ここの改札を通って通学してたんですよ」と、“吉祥寺っ子”な顔をのぞかせた。

大学受験のために選んだ日本語


写真を拡大両親が来日したときは、草津や九州の温泉めぐりをしたそう。

  張さんの日本語との出会いは、今どきの中国の若者みたいに、日本の「アニメ・マンガ」というわけではなかった。

  思い立って受験した「済南外国語学校」で、学費が免除される特待生枠に合格。そこで、日本語コースを選んだのがきっかけだった。
「両親が、その先の大学受験のことを心配して『英語は将来も勉強する機会はある。それよりも日本語のほうが受験のときに有利かもしれない』と後押ししてくれたのが大きかったです」

  張さんの出身地・山東省は、孔子の故郷として有名であるが、中国のなかでも教育熱心で試験が厳しい省として知られている。受験を控える子どもを持つ親にとっては、当然のアドバイスだったのかもしれない。
しかし、“大学受験のため”だったこの時の選択が、張さんの歩む道を形作っていく。

自分と両親を変えた日本への留学経験


写真を拡大ブルネイの留学生たちと一緒に参加した体育の授業にて。

  高校1年生のとき、「心連心:中国高校生長期招へい事業」の一員に選ばれ、2009年9月から2010年7月までの約11か月間、岩手県の盛岡中央高等学校に留学する。

  盛岡中央高等学校では、勉強以外にも、調理実習や茶道、ブルネイの留学生のバディなど、様々なことにチャレンジした。そのなかでも「剣道部」の練習には力を入れたと言う。初めて剣道部の練習に参加したときの感動を、張さんは当時の日記にこう綴っている。
「全力を出して面や小手を打った瞬間は本当にうれしかった。氷点下の寒さでも、汗をかいてきた。剣道部のみんなとおしゃべりしたり遊んだりしているうちに、疲れがすぐ消えていった。みんなが集中して練習する様子を見ると、自分も感動せずにはいられない」(心連心ウェブサイト長期招へい生:張亜新さんの日記「剣道の正式練習が始まった2009.12.15記」より一部抜粋)

  一緒に汗を流し友情を育んだ剣道部の仲間とは、今も交流が続いている。張さんが大学進学で再来日後、毎年のように集まって顔を合わせているそうだ。

  ホームステイ先にも恵まれた。留学生活を支えてくれたのは、おばあちゃんも同居する3世代9人の大家族。「そこで食べるご飯がとても美味しくて、すくすくと成長しました。当時は今より10キロくらい太っていましたよ」と、張さんは笑いながら教えてくれた。

  学校でも生活でも有意義な日々を過ごせた高校時代の日本留学は、自分自身そして両親の意識を変えた。
「実は、私の父は元軍人で、母は歴史の教師。そう聞くと、日本に対して厳しい目を持っているのではと思われます。しかし、“心連心”での留学生活を通して両親は日本を知り、日本は『安心できる国』と考えるようになりました」

就活で味わった大きな壁


写真を拡大“心連心”第三期生・第四期生・第五期生が中心となって企画運営にあたった「日中交流×町おこし@伊豆プログラム 2013」。前列右から3人目が張さん。

  張さんは“心連心”での留学がきっかけとなり、北京の大学ではなく、日本の大学へ進学することを決める。母校を卒業すると、再び日本へ。京都の日本語学校に在籍しながら受験の準備を進め、東京大学に入学。グローバルな視点を身につけたいと、国際関係の講義やゼミが多い教養学部を選んだ。

  大学時代は、課外活動やアルバイト、地方創生のNGOでのインターンなど、積極的に体験する。2年生のときには、“心連心”卒業生メンバーで、日中交流プログラム「日中交流×町おこし@伊豆プログラム 2013」を企画。運営学生として活躍した。

  東大に入り、順調に道を歩むように見えた張さんだが、就職活動でこれまで経験したことのない大きな壁にぶつかってしまう。
「周りの友達と同じように金融や投資関連企業のインターンをしてみるも、やりがいを感じられずにいました。そこで、興味のあった化粧品業界を受けてみましたが、思い描いていたイメージと異なり……。自分のやりたい仕事が見つからず、すごく落ち込んでいました」と当時を振り返る。

偶然の出会いが開いた“仕事への扉”


写真を拡大放送直前まで商品の見せ方にこだわったそう。生放送中の1シーン。

  悩み続けていた頃、たまたま参加したのが「ミキハウス」の就活生向けセミナーだった。
大手デパートで通訳のアルバイトをしていたこともあり、「会社名や子供服のメーカーであることは知っていた」が、当初は、その程度の知識しかなかった。しかし、話を聞くにつれ「仕事はもちろん、先輩社員から聞く職場環境に惹かれる自分がいた」そうだ。

  その後、試験を受け、見事採用。2016年3月末に入社後は、東京での研修や店頭販売の経験を経て、同年10月より大阪本社のグローバル営業推進部で、中国向けネット通販業務を担当している。
「上司や同僚とも相談しやすく距離が近いところや、いろんなことにチャレンジできる寛容な社風が気に入っています」

  そう語る張さんの最初のチャレンジは、大阪異動直後にやって来た。「天猫直播」という、中国向けのネット配信によるショッピング番組。しかも1時間の生放送と、失敗が許されない難易度の高いものだった。

  張さんは、番組の企画構成から紹介する商品まで、すべてを担当することに。中国のユーザーに買い物を楽しんでもらえるようにと、日本的な「福袋」で販売することを考案し、当日の売り上げに貢献した。さらに、放送当日は番組の進行役までこなし、商品紹介を堂々とやりきった。

  「今の職場では、様々なことに関われるので、知的好奇心を刺激されてすごく楽しいです。これからも仕事を通して多くのことを学びたい」
目を輝かせながら、そう語る張さん。彼女の表情から、充実した日々を過ごしていることが伝わってきた。

偶然を自分の力に変換


写真を拡大大阪へは3か月前に引っ越したばかり。吉祥寺にはまだ友達と一緒に借りている部屋があり、時々“帰省”するそう。

  張さんの“心連心”留学時代を知る日中交流センター職員の印象は、ずばり「優等生」。周りが抱く「優等生キャラのイメージ」をどう思うか、ちょっと意地悪な質問をぶつけてみた。
すると、「私は優等生ではないですよ。試験の成績がたまたま良かったから、そう見えたのかも。ただ、自分が納得いくまでトコトンやる頑固なタイプなので、それを地道に重ねていっただけ」と、意外な答えが返ってきた。

  最後に「もし“心連心”で日本に留学してなかったら、今何をしていたと思うか」と尋ねてみると、「考えたことはない」と一言。
「私は決めたらこうと進むタイプ。あの時こっちを選んでいたらと後悔はしないんです。なので、2つめの道はないですね」

  高校での「日本語」との出会い、そして就活中の「仕事」との出会い−−−その折々の偶然の出会いが、張さんの運命を大きく導いてきた。しかし、偶然を「接点」だけで終わらせず、大切に育み、そして着実に自分の道とする。それが彼女の最大の強みではないかと思う。

  そんな張さんの夢は「日中の架け橋になること」。これまで着実に自分の進む道を築いてきた彼女が架ける橋ならば、きっと強くしっかりとした造りになることは間違いない。

  【取材を終えて】
  心連心卒業生の留学時代の感想で、女子生徒からよく聞かれたのが「冬の制服のスカートは苦手だった」こと。張さんの留学先・盛岡は雪国。大丈夫だったか尋ねてみると、「冬場のスカートは確かに寒かったけど、毎日過ごしていたら平気になりました」と意外な回答が。しかし、目の前にあるものを受け入れていく姿勢が、とても彼女らしいと思えた。10年後、20年後……いろんな出会いを自分のものに変換し、成長した彼女の姿を見てみたい。
(取材・文:和泉日実子 取材日:2017年1月15日)

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